競馬雑誌ギャロップ」第3回エッセー大賞

編集部奨励賞受賞

8/5号 P.63〜掲載                      大橋さんの競馬予想」へ戻る



誰も知らないデルマー競馬場の怪物伝説
                                               大橋 道郎

  ゴルフ「ホールインワン」が出る確率は、アマチュアなら「1万打に1回」と言われる。一生かかっても出せない計算だ。しかしボクは既に1回達成した。これだけでも極めて運が強いのに、競馬ではもっと強運な出来事に遭遇したことがある。こちらの確率を大袈裟に言うと、「1000万人に1人」。

そうあれは元号が「平成」に変わった年。場所は米国デルマー競馬場。海外出張の合間を縫って、現地スタッフに競馬観戦をセッティングしてもらったときの話。
 それは全くの偶然だった。まだ殆どの日本人が知らなかった時代のサンデーサイレンスを、この目で観てしまったのだ。普通のレースではない。今考えると、後に日本競馬を劇的に変えた「彼の秘密」を垣間見たような、非常にスペシャルなものであった。
 日本人の目撃者は、我々の仲間が数人。季節外れの平日だったので、他の日本人観光客には会わなかったが、きっと何人かは潜んでいただろう。従って、合計12〜3人の日本人が衝撃のシーンを観たと類推して、「確率1000万分の1」と計算してみた。
 因みに、後に種牡馬として購入した社台ファームの関係者は当日いなかったと想像する。もしも誰かが目撃していたら、間違いなく「SSの衝撃エピソード」として語り継がれていたはずだ。いまだに耳にしたことはない。

 では、社台の父、いや近代日本競馬の父である吉田善哉さんよりも先に目撃したサンデーサイレンスの秘密とは?

(2016年6.3:追記)
※今、読み直すと、ここまでの文章は不要だった。なんだか、クドクド説明的で、無駄な文章・・・。下の「1989年・・・・」から始めれば、爽やかでロードムービー的に読める。それなら、大賞は無理でも、3位までには入っていたと悔やまれる。

                           ◇

  1989年9月金曜日の午後。ボクらはロスアンゼルスから社用車でデルマー競馬場へ向かっていた。運転はロス支社に転勤した石川くんで、通称「石ヤン」。寡黙だが仕事はできる。日本製のワゴン車に5人も乗っているから、燃費はいいが車内は狭い。鮨詰めならぬ「カルフォルニア巻き」状態。食べれば意外に美味だが、中の具にとっては身動き不可で美味しくない。
 前の助手席にいる「カバ」はイビキをかいて爆睡している。とはいっても、れっきとした人間で、上司の佐山さん。顔と体型が、ちょっと動物の「河馬」に似ているだけ。気性はいたって温厚で、寝ていないときは相手を笑わせることしか考えていない。

 そんなこととは無関係に車窓の景色はどこまでも美しい。青く澄み切ったカルフォルニアの海と空。永遠の如く続くビーチは、午後の陽光に反射して宝石を鏤めたように輝いている。開けた窓から入る爽やかな風が優しく頬を撫でる。笑顔で手を振るサイクリングのグループを車が抜いて行く。みんな金髪だから、よけいに赤や黄色の原色の服が似合う。格好いいぞ!
 まるでリゾート地のような海軍の住宅街を通り過ぎる。次は、リタイアメントの広大な施設だ。日本の老人ホームとは桁が違う。景色を眺めながら、ふと『天国に一番近い島』という小説の題名を記憶想起。あれはニューカレドニアが舞台だったはず。
――こっちこそ本当の天国ではないか? 車内がギュウ詰めだから、尚更そう思えた。目覚めたカバ上司にそのような感想を伝達していたら、カーラジオからジョン・デンバーの『
カントリー・ロード』が聴こえてきた。日本でもヒットしたC&Wの名曲だ。訳題は、確か『故郷へ帰りたい』。今のボクの気分は、「天国ロードよ、デルマーで儲けさせてくれ」・・・というところか。
 そうなんだ、夢心地でボーっとしている場合ではない。競馬で儲けて、海外出張土産の資金を増やさないと・・。これから「鉄火場」に行くのだから、気分は映画の『イージー・ライダー』や『バニシング・ポイント』をイメージしよう。石ヤンにカーラジオのチャンネルを「ロック系」に替えてもらい、さあ、勝負モードだ! 我右手の“エア・アクセル”を噴かしながら、一路デルマーへ向かった。


  ロスから南下して2時間半。遂に憧れのデルマー競馬場に到着。正門から入って、メインスタンドを見上げた。ベージュの壁にピンク、紫、黄色と、如何にもカルフォルニア的に彩色された建造物は、まるでテーマパーク。
「さすがアメリカじゃあー」と、カバ上司は完全に田舎者。ミー・トゥー。
 だが、時間が経つに連れて「おのぼりさん」状態も醒めてきた。外見の美しさとは裏腹に、スタンドの内部は汚れた部分も多く、地元の競馬ファンは人種の坩堝。彼らの刺すような視線が痛い。どうやら、こういう所は世界共通のようで、ある種ホッとした。
「よしよし、鉄火場モードになってきた」
 窓口の人に見下されながら、英語の発音を直されながら、なんとか苦労して馬券を購入して、自分の席に戻った。仲間たちと、やっと平常心で談笑していたら・・・。そのときである。レース開始までかなり時間があるのに、突然1頭の馬が馬場に登場してきた。
「あれ、日本と同様に早めの返し馬か?」
と、気にも留めずに仲間と談笑継続。しかし、実はこの瞬間が「怪物伝説」の幕開けであった。

――
漆黒の馬が、午後の日差しに輝きながら風のように走っていく――

 場内は大歓声。さすがに我々も話を止めて注目。黒い馬はギアを上げてバックストレッチに。日本のようなカラー・ビジョンは無くても、狭いコースなので肉眼で十分。そして、あっという間に4コーナーに差し掛かった。
「カモーン、カモーン!」の大合唱。そうか、米国では「ゴー」ではなく「カム」なのか・・。そんな語彙を考えながら、ボクらも知らぬ間に応援していた。
 黒い弾丸がゴール板を過ぎて、拍手、口笛、歓声が響く。どうやら相当の人気者のようだ。でも、なぜ「独り旅」? 引退式? それとも調教? その疑問に答えるかのように、一色の地味な電光掲示板に派手な表示が点燈。

――「マイルのトラック・レコード達成! 1.33.3 !」――

 英語が得意でないボクでも文字の意味は解った。でも、なぜレコード? ダートなのに日本の芝と変わらないぞ・・。これはもう、地元の人に聞くしかない。寡黙だが最低限の英語は話せる石ヤンに質問を頼んだ。すると、近くの初老の女性が嬉しそうに回答。要約すると、こうだ。
 今年のケンタッキー・ダービー馬が地元のデルマー競馬場に休養のために帰っており、「お披露目興行」でファンに勇姿を見せたとのこと。三冠目を2着に惜敗した「二冠馬」で、秋の大一番ブリーダーズCに向けての調整を兼ねて馬場を一周したようだ(実際、ブリーダーズCを優勝することになる)。
「名前はサンデーサイレンスなのよ」
「素敵でしょう」と言ったかどうかは忘れたが、そのおばさんが得意満面だったことは今でもハッキリ脳裏に焼き付いている。地元の英雄が凱旋し、且つ度肝を抜いたのだから。「よくぞ聞いてくれた、ジャパニーズ」という気分だったろう。


  凄過ぎる。恐ろし過ぎる。1ヵ月後に古馬との大一番を控えた現役二冠馬を、地元の競馬場でお披露目調教させることも大胆だが、それにも増して軽く馬場を一周して「トラック・レコード」を叩き出す米国馬の個体能力と筋肉構造は一体どうなっているのだ?!
 背筋がゾ〜っと寒くなり、思わずボクは呟いた。「こいつは化け物だ」・・・。そういえば日本最強馬のルドルフが数年前にサンタアニタ競馬場のGTに挑戦して惨敗したことを思い出した。この話を仲間に説明したら、競馬素人のカバ上司から強烈なお言葉。
「こりゃあ、100年かかっても欧米の馬には勝てんわなー」
もしも現代なら、人気漫才師に「欧米か?!」とツッコミを入れられそうだが、当時は誰もカバの頭を叩く人間はいなかった。その代わり、石ヤンが相槌をうった。

 馬の名前だけは知っていた。当時の海外競馬は、まだまだ雲の上の存在で、情報も薄かったが、それでも米国ダービー馬ぐらいは伝わっていた。しかも、サイモンとガーファンクルの名曲『サウンド・オブ・サイレンス』に似た馬名だったから、印象に残っていた。でもまさか、その名馬をナマで観られるとは。そして「怪物」になった瞬間を、数少ない日本人として目撃するとは。偶然とはいえ、最高の日にデルマーに来たものだ。


  その日の夜は、ロス出張最終日のお別れパーティ。現地採用の米国人社員も交えて盛り上がった。競馬好きの米国人に、今日観たデルマー競馬場の出来事を伝えたら、相手も大興奮。「貴方は、グレイト・ラッキー・マンだ」と言われた。尚、言い忘れたが、肝心の馬券は見事に「丸坊主」。怪物に遭える運はあっても、相変らずの「馬券ベタ」であった。

 二次会は、当時米国に導入されたばかりの「カラオケ・バー」へ。意外にも客は米国人ばかりで、海外でも流行りそうな予感。カバ上司は英語で『マイウェイ』を熱唱。ボクはカーラジオで聴いたばかりの『カントリー・ロード』をなんとか英語で。でも最も盛り上がったのは、駐在社員の石ヤンがチェッカーズの『涙のリクエスト』を日本語で堂々と歌ったとき。迎合せず、自分らしさを発揮した者が、賞賛の嵐。米国人の好きなスピリットだ。そんな教訓を胸に、翌朝帰国の途についたのであった。

                           ◇

  冬晴れの午後、CDプレイヤーから『カントリー・ロード』が聴こえてくる。この曲を聴くと、パブロフの犬のように、あのデルマー競馬場の出来事が鮮明に蘇える。もう20年近く経っているのに。それだけ「SSの怪物伝説」を目撃したことが強烈だったのだろう。
 改めて思う。よくぞ、米国の「至宝」であるサンデーサイレンスが日本に来てくれたと。もしも米国に残っていたら・・・、いや、考えまい。売ってくれたアーサー・ハンコック氏と、吉田善哉氏に感謝。

 ジョン・デンバーは、「田舎道よ、故郷へ連れて帰ってくれ」と歌っている。サンデーの直子は、デルマーで走ることはなかった。でも、故郷デルマーのファンは極東に旅立ったサンデーを忘れてはいない。孫の代でもいいではないか。ディープの産駒でデルマーのGTに遠征しよう。馬名は何がいいかな? そういえば、米国にケイムホーム(帰ってきた)という名の種牡馬がいる。その父はゴーンウェスト(西へ行った)。馬主の命名意図を想像すると――、
『田舎から西海岸に出ていった息子の子供(=孫)が帰ってきた』――という感じか。

それなら、ディープ×母父ケイムホームで、「カムバックサンデー」はどうだろう。


  未来デルマー競馬場のレースを夢見た。・・・・

――『日本から遠征してきた黒い馬は、直線に向いて外から一気に伸びて来た。観客は米国馬そっちのけで、「カモーン、カモーン!」と大声援。あのときの祖父サンデーサイレンスを彷彿とさせる速さで、ゴール板を風のように通過した。5馬身差の圧勝劇。
 デルマーの観客たちは、「ウェルカムバック、サンデー」と口々に馬を称える。ボクは20数年前と同様に、スタンドのボックス席で「怪物再来」の瞬間を観ていた。さすがに強運の男、またもや伝説を目撃したようだ。
 近くに見覚えのある老婆が握手を求めてきた。そう、初めてサンデーを目撃したときに説明してくれた初老の女性が、まだ健在だった。カルフォルニアは高齢者の天国だもの。みんな長生きしている。彼女は「ウェルカムバック、ホーム」と微笑んだ。』――

 そんなことを想像しながら、ボクは本当の夢の世界に入っていった。


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