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2019年1月7日(月)
加速度的に技術革新が進歩

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2018年7月24日(火)
シェーンと、アベと、・・・

久しぶりに映画「シェーン」を観た。BSでやっていたので録画して、ジックリ鑑賞した。「シェーン」を初めて観たのは小学生のころで、父親が西部劇好きだったから、TVのロードショウを一緒に観ていた記憶。その後大人になって何度か観て、たぶん今回で5、6回目だと思う。同じ映画を何度も観たのは、「ゴッドファーザー」といい勝負。好きな映画でも、1回見たらもう十分という映画もあるし、TVで放送していると知らぬ間に観てしまうこともある。「スターウォーズ」などは後者のほうだ。
 「シェーン」は実にシンプルな物語。流れ者がある家族と意気投合し、暫く居候。開拓時代の米国(西部?)は、早い者勝ちで土地や利権を取得できるとはいうものの、どんな時代でも必ず悪い親分が存在するもの。シェーンが居候した家族に「その土地は俺様のものだ!」と、親分が暴力で追い出そうとする。その攻防で色々な戦いや人間模様が展開する。まさに典型的は「善と悪」の物語。西部劇の早撃ち対決もクライマックスにある。登場人物は少なく、夜のシーンが多いので全体的に暗い映像イメージだが、起承転結のストーリーは抜群で、その後の映画のベースになったと言っても過言ではない。

 だけど、なんだか心が晴れないのだ。物悲しく、残尿感ならず残哀愁感。主だった登場人物もみんな哀しそう、寂しそうな表情。唯一の元気印が家族の一人息子。そう、あの名シーン⇒「シェーン! カムバ〜ク!」と、ラストでシェーンに叫ぶ少年だ。映画史に残るラストシーンだが、ふと「シェーンは何処に行くのだろう?」「傷を負っていたはず、手当せずに大丈夫か?」と。その名残惜しさと哀愁が、何回も映画を観てしまう要因かもしれない。

 映画は少年の視点で描いている。カメラ・アングルも子供の目の高さ=少し低い目線から見上げるシーンが多かった。主演男優のアラン・ラッドは小柄だったので、それをカバーする意味もあったかも。小柄だけど、その美男子ぶりには驚く。近年の男優にはいないタイプ。どこか哀しげで華奢な体格の男は、従来の西部劇に出てくる大柄ガッシリ系とは真逆。その異質なことが、この映画を後世に残る名画にしているのかもしれない。
 前半は、観ながらずっと涙を流していた。自分でも解らない。悲しいシーンではないのだが、熱いものが込み上げてくる。きっと、年取った小生が子供時代の自分や父親のことを想起して、無性に感傷的になったのだろう。あるいは、登場する少年に感情移入し過ぎたのだろうか。

 綺麗な涙を流し、心を洗った。

逆に汚らしいものも見た。「自民亭」のSNSアップには、開いた口が塞がらない。写真を投稿した本人が「SNSにアップすべきではなかった」「国民に誤解を与えて謝罪」と言っているが、そうではない。その感覚がズレズレで麻痺しているのだ。そもそも問題は――
1.オウム麻原以下、死刑囚7人の死刑執行前夜に懇親会を開催し、総理大臣と法務大臣が祝杯(?)をあげたこと
2.緊急災害警告が出て数時間後。当夜から翌日にかけて、一層の危険が迫っていると気象庁が発表しているにも関わらず、呑み会決行
3.翌日、岡山・広島・愛媛で避難勧告⇒指示が出たにも関わらず、アホ議員二人がSNSに懇親会写真をアップ。もうこの段階で、お前ら狂っている・・・というか、危機管理意識がゼロ!
4.安倍総理は、緊急事態にも関わらず、自宅に戻って何もせず。「魔の66時間」と揶揄されているが、国民の数万人が生きるか死ぬかで避難したり救助されたり大自然災害に遭遇しているのに、ほぼ三日間何も発動していないらしい
5.しかもアベは予定通り外遊するつもりだった。周りに諌められて仕方なく外遊を取り止め、緊急何某(なにがし)の発動をし、被災地に火曜日に現地入り。宴会から5日後で、被災から丸4日後。

 もうここまできたら、馬鹿でアホでクズだ。アベは勿論のこと、菅も麻生も、国土大臣も環境大臣も、法務大臣も、SNSアップの馬鹿男も馬鹿女も、全てが糞だ。嘘で塗り固めた末期症状の政権と官邸の問題云々より以前に、あんな知能程度の低いヤクザ大臣=麻生の放言・失言以前に、いま国民が一番苦しんでいるときに何も適切な判断と行動が出来ずに、ジッとしている奴らに&アベに、国家の政治を任せられるはずがない。
もういい! お前ら、みんな辞めてしまえ!
 こんな低能たちが国家の中枢を担っているとは・・・・なんと我々日本人は不幸なんだろう。いや、クズでダメな国だから、世界中で一番激しく次から次へと自然災害が襲ってくるのか。まるで地球が、日本だけを目の敵にしているような。

大統領や総理大臣の使命と責任
⇒それは国民の生命を守り、豊かで住み易い国家を作ることである。
国民の安全のために、「防衛力」を強化することは、過去の(いや現在も)戦争の経験則で仕方のないところ。人類のどうにもならない恥部だ。日本は軍事力を持つことは憲法で禁じられているが、「警察」⇒「自衛軍」⇒「自衛隊」と発展解釈して実質軍事力を強化してきた。アベの「憲法改正」は、その正当化だけである。目的はその1点! 所詮「自衛隊」が解釈で成り立っているので、別に放っておいてもいいのだが、問題は「防衛」しかできないこと。「攻撃」を可能にするには、憲法を変えるしかないのだ。その是非は今後に譲るとして、果たして今の日本人の生命を守ること=軍事防衛ですか?・・・・との疑問。

 近年の大地震は、阪神淡路大地震⇒中越大地震⇒東日本大地震&津波と来て、熊本大分地震や山陰地方の地震、そして最近の大阪地震。その間も震度5前後の地震は頻発しており、いよいよ本殿(?)の首都直下型地震が近い予感。休火山の噴火も拍車を掛ける。そのうえに、である。従来無かったタイプの集中豪雨・ゲリラ豪雨。台風の時のように短期間で終わらず、2〜3日連続して豪雨が続く。「2カ月の雨量が1日で降った」とか、まさに想定を遥かに超えた異常気象。土石流や土砂の氾濫、河川の決壊と洪水、一部にはダムの決壊を防ぐための複数回の放流による水害・死亡も。
 「他国からの核の脅威」もさることながら、日本は「自然からの爆弾的災害の脅威」に今まさに晒されている。国民の生命を奪うと点では、「核爆弾」も「自然災害の爆弾」も同じ。十二分な防衛、防災をしなければならない。

 「防災費」は「防衛費」とは予算が違う。防災費という独自予算はなく、国土交通省(気象庁含む)や農林水産省の中とか、地方自治体の予算の中に防災費があるのだろう。だが、地方任せでは通用しない時代になっている。気象、地震、火山などは気象庁の管轄。「防衛費」は年間5兆円超。オスプレイ1機が114億円で、計17機配備予定で計約2000億円。今後とも武器商人トランプから、新たな兵器を買わされそうだ。使えない武器は不要。どうせ攻撃できないのだから。オスプレイの数を半分にしたら、1000億円浮く⇒防災費に回せる。被災者支援に充当するのもよし、防災や避難への技術開発費用に回すのもよし。要は、国民の生命を守るのは、日本にとって防衛ではなく「防災」が最優先事項。
1兆円の防衛費を削減し、そのまま防災費に回したい。
地震予知の研究費用、砂防や河川氾濫におけるダム設備の見直しと放水ルールの見直し、各河川の堤防の点検と見直し、避難通告設備の強化、・・・・要するに「爆弾」のように激変した現代の自然に対応する「防災」、あの津波と同様の被害が、平地や山間部で起きるとの認識。日本一災害の少ない県だったはずの岡山県倉敷市&広島市・・・、あの瓦礫やゴミの山を見ると、東北の津波後の瓦礫と何が違うのか?⇒ほぼおんなじだ。

 明らかに自然が激変した。「従来型の防災では毎年何万人の命を危険に晒す」「防衛と防災の価値観を変える」・・・・なんてアンテナが働く人材はいないのか? あるいは、総裁選でぶち上げられる政治家は存在しないのか? 現実の災害や死者を見てみない振りをして、見えていない仮想敵への防衛に湯水の如き予算を無尽蔵に使う三代目Jソールじゃない首相。こんな奴を辞めさせられない日本人は不幸の塊だ。


2018年4月16日(月)
厄年の1年間だった・・・?
           

久々の言いたい放題。約1年間更新していなかった。特別な理由はないが、毎週更新する「競馬予想」コーナーで、その時に思いついたことを記入していたので、ここで特別に発言する必要がなかったのだろう。また、ここ1年は、心が平和だったからかもしれない。一時期に比べると、色々と考え過ぎたり、気持ちがザワザワすることが無かった。年齢的にも、年を重ねて一つの峠を越えたのだろう。その代り、体調面では次々に問題が襲ってくる大変な1年間だった。
 厄年は終わったはず。数えの「後厄」は一昨年だった。厄年はお祓いしてもらったが、後厄のお祓いを受けなかったからだろうか? よく、高齢で環境を替えると体調を崩し易いと言われる。引っ越しなどはその典型で、小生は昨年の5月に転居したのだが、少なからずその影響もあったかもしれない。

転居した1カ月後から次々に襲ってきた。
1.まず6月に「良性発作性頭位めまい症」を発病
2.8月は、めまい症が一因で就寝中にベッドから転落⇒肋骨にヒビ
3.肋骨ヒビ+腰痛が緩和したと思ったら、帯状疱疹
4.その間、臀部の粉瘤(7年前に手術済)が再発し、痛みや生活に支障
5.秋〜冬にかけては沈静化したが、粉瘤の再再発で手術決意⇒3月に済
・・・・という感じで、もう体が休まる暇なし。多くは、加齢によることが原因だそうだが、めまい以外は痛みが伴うことばかりで流石に閉口する。これだけ続くと気持ちも弱気になる。まるで悪魔に魅入られたかのように、悪の連鎖、負の連鎖、負のスパイラル。絵を描くために、素晴らしい風景の地域に旅行するプランも9割がたキャンセルした。とりわけ信州の八ヶ岳の麓。白駒池、松原湖、御射鹿池など、すべて止めた。もちろんゴルフは当分できない。

めまい症は、メニュエール病ほど症状が酷くないので、薬物投与はない。自分でストレッチ&リハビリ(エプリー法)を根気強くやるしかない。半年間全然良くならず、一生ゴルフにも行けず年中船酔いのような生活を続けるのか・・・と半ば諦めの気持だったが、最近になって少しずつ良化の兆しがみえてきた。他の悪のスパイラルは一応沈静化したので、今年は何としても、せめて絵のスケッチや写真撮影にはドンドン出掛けたい。今の生きがいや人生の目標は「プロの画家を目指す」こと。そのモチベーションがある限り、加齢による様々な病に負ける訳にはいかない。

さて、世界情勢に目を向けると、どいつもこいつも全く尊敬に値しない馬鹿なリーダーばかりで、あの「地球時計」も一気に時間が進んだようだ。確かに地球が滅亡する日は近いなと思わせることばかり耳に入る。今も昔も、権力を握ると少しでも長期政権を維持しようとするのは、人間の性(さが)なのか? ロシアのプーチンは、一体何十年間トップに君臨していたっけ? 首相になったり大統領に戻ったり、ありとあらゆる悪知恵で永く君臨。国家ぐるみでドーピング違反をしたり、裏切ったスパイやジャーナリストは抹殺する(との推測)。知らぬ間に中国は習近平が終身国家主席のような体制と制度に。社会主義国の恐ろしさ・・・。我がニッポンも、安倍がこそこそと長期政権作り。連続2期6年⇒3期9年に延長させた。ロクでもないリーダーほど長く君臨したがる。独裁国は、北朝鮮はじめ「抑制力」との名目で核兵器を作りたがる。

 一方で、米国のトランプ大統領は権力を振り回して、国内はもとより世界中を大混乱に陥れている。当初の想像よりもっと酷く、もっと下品で、低俗で、無知で、危険で、アホで・・・・。先般、高校で乱射事件があって、銃規制が改めて論議された。大統領として高校に訪問し、遺族や被害者を前に喋った言葉に、世界中が凍りついた。小生の頭の中でパッと閃いたのは⇒「こいつはキチガイだ」、と。昔の軽蔑的用語しか思いつかなかった。あるいは、「こいつ、狂っている」でもよかった。とにかく、まともな人間が発する言葉ではなかった。
「今後は学校の教師が銃を所持すればいい」
米国では「全米ライフル協会」が絶大な力を持っている。銃やライフルの所持は米国の歴史的背景もあるが、政治家に対する莫大な献金で政治を牛耳っている要因も。ラ協会は共和党支持なので、当然トランプは銃規制反対なのだが、流石にこんな発言をする予定はなかった。スタップは別の発言メモを用意して大統領に渡していたのに、勝手に違う発言をしたのだった。

自分の長期政権しか興味が無い各国トップ、世界の中心で異常な言動ばかりしている米国大統領、そんなトランプに唯一噛み付いていた「北の三代目」。そんな映画にも描けない狂った状況が、三代目の変化で変わろうとしている。未だ真意の程は定かではないが、いま世界の主導権は完全に「キム」が握っていると言っても過言ではない。
 金正恩の最近の方針転換を見て、「したたかな人間かも」とか「役者やな〜」とも感じた。父の金正日の遺言を忠実に遂行しているのか、自分なりの国家戦略を持っているのか、いずれにせよ想像以上にクレバーかもしれない。先の先までシナリオは作っているように見える。父の遺言通りに実行しているかもしれない。兄の暗殺、核爆弾の実験成功、米国まで届くICBM弾道ミサイルの所持、米国との恫喝合戦など、二代目時代に描いたシナリオや戦略設定があるからこそ、迷いなく邁進できるのではないか・・・と考えてしまう。いずれにせよ、米国との直接対決でどんな役者ぶりをみせるのか、どちらが真に狂ったリーダーなのか、見えてくるだろう。

*他にも具体的に色々書きたいことがあるが、正直言って「諦めの心境」になってどうでもよくなった。何を言っても「どうせトランプも安倍も菅もイエスマン官僚も相撲協会もダメな野党たちも、何も変わらないだろう」・・・と考えてしまい、このコーナーで改めて述べる気持ちが薄らいだ。今後は、毎週更新する「競馬コーナー」で、どうしても言いたいことがあれば、述べるようにする。従って、この頁の更新は、今後とも少なくなるはず。

2017年6月13日(火)
故郷に帰って思うこと・・・

4月の半ばに実家の岡山県に帰省した。新幹線に乗るのも久しぶり。東京駅からではなく、品川駅から乗車し、約3時間と15分ほどで岡山到着。昔のサラリーマン時代に、「ひかり」で4時間以上かかったことを考えると、隔世の感である。その時代の習性で、週刊誌やスポ新聞を買い込んで、且つ小説も数冊持って行く。しかし、今年は桜前線の遅れもあって、車窓の景色は丁度「桜が満開」。平日の午後に乗ったので、ビールを飲みながら昼食の弁当を食べていると、知らぬ間にいい気分でウトウト・・・。名古屋には直ぐ着いてしまった。その後、京都、大阪と来れば、岡山には残り30分余りで、殆ど何も読む間もなく到着(皐月賞の週だったので、競馬雑誌やスポ新聞ぐらい)。年を取ったので眠り易くなったのかもしれないが、今回は丁度いい休息の時間になった。昔のサラリーマン時代の「ひかり4時間余り」は苦痛だったが、現代の3時間余りは楽しい時間に変化した。

数日間過ごして、東京に帰る日。予定が変わって2時間以上時間が余ったので、新幹線に乗る前「イオン」の巨大ショッピングモールで過ごした。岡山という小規模な地方都市にとっては、商圏の一大改革だろう。駅前の大きな林原駐車場=「カバヤ(林原)」の広大な敷地が、全て一つのモールになったのだから、昔を知っている人間にとっては別世界である。そういえば、優良企業だった「林原」の元専務が、『銀行に騙されて倒産…』的な暴露本を出していたことを思い出した。なるほど、それが事実なら、銀行とイオンが結託して岡山駅前という絶好の土地を奪ったのだな・・・とも。
 ま、それはさておき、平日のお昼前後ということもあり、中はガラガラ。地方都市の平日なら、そんなものだろう。地元の老人たち(自分もそうだが)、主婦の友達グループのランチ、早退したのか、若い学生風の数人、コーヒーを飲みながら人の流れや中庭を眺めていると、時間があまりにもゆっくり流れている。ふと、
「こんな所で過ごしたいな、もう老人だから、ユッタリ生きたいな」
と思ってしまった。岡山で生活するなら、未だ辛うじて数人の友人がいる。一緒の土地に居たらまた違うかもしれないが、少なくとも東京よりも友人との交流は多いと思う。ではなぜ帰らない?なぜ晩年を故郷で過ごさない? それは、三男坊に生まれて、居場所もなく早くに家を出ることが当然だったし、もう帰る場所は無い。故郷というよりも、東京ではない地方で晩年を過ごしたいと言ったほうが適切かもしれない。40年間、まるで流れ者のような生き方をしてきた人間にとって、そろそろ年齢的に落ち着くときがきたかもしれない。

 先日引っ越した場所は、東京の下町ど真ん中。ここならユッタリ生きることができそうな予感がする。ここが終の棲家になればいいが。

トランプと安倍と金正恩の3人、誰が一番の馬鹿か、誰が一番チキンで小心者か、誰の政権が一番長持ちするか・・・、色々と比較できる。というより、3人とも似た者同士かもしれない。一見、トランプと金のチキンレースで、戦争の引き金をどちらが引くかと思われているが、安倍だって負けていない。トランプにベタベタと擦り寄って『ブラック・タン』をして、世界中の笑い者なった。そして、毎回の北朝鮮ロケット打ち上げへの過剰反応。憲法記念日に「自衛隊を正当化する憲法に改正したいと」あの「滑舌悪い芸人」顔負けの滑舌の酷さでのたまわっている。そして米軍との訓練・・・トランプ虎の威を借りて、戦争を煽っているのと同じ。一番タチが悪い。一触即発で戦争を起こしそうなトランプを、裏で煽っているのは、実はアベじゃあないのか・・・と。

 TVで見ると胸糞悪くなって、必ずチャンネルを替える人物がいる。芸人の松本と坂上忍と橋下(元大阪市長)。彼らを絶対に観たくないのだが、ヤフーニュースで常にアクセス&コメント上位なので、どうしても見出しは目に入ってしまう。松本は何故かCM起用が多く、TVを付けていると連呼する商品名が仕方なく耳に入る。暴力と同じだ。ただ、「すべらない・・・」の話上手な中堅芸人は好きなので、録画しておいて、松本の部分だけ飛ばして観て楽しく笑っている。
 ヤフーニュースでついでに言うと、所謂「ネット族」のコメントを読んでいても、胸糞が悪くなることが多い。普通のタレントが不祥事を起こすと、みんなで寄ってたかってボロカス。後述に出てくるが、準強姦容疑が直前で逮捕中止となったた元TBS記者に対して、勇気を出して記者会見した女性に対して、ネット族は批判の嵐。まるで民進党が担ぎ出して、被害者に対して売名行為まで問うようなクソ書き込み。お前ら、安倍の御用ネット族か? お前ら、真実の何を知っているのか? 単なる想像と、既書き込みへの同調書き込みで、炎上するアホな仕組み。それでいて、TVの松本の発言にだけは賛同⇒「松ちゃんの言うことは当たっている、脳科学者の○○は馬鹿だ」と。お前らこそ大馬鹿で、本質が何も解っていない軽率な日本人ばかり。話を戻すと――

 勿論、政治家で見たくもない人物は安倍とトランプが双璧。トランプなどは、日本語訳の声優の声を聞いても胸糞悪くなるので、見聞きしないように努力する。FBI長官の解任なんて、映画でも書けないシナリオ。世界一の大国(軍事と経済)=アメリカのトップでは無く、後進国の独裁者がやりそうなことをばかり。そんな悪事を世界中のリーダーが見て見ぬ振りをしなければならず、国民の支持率は史上最悪と言われながら、未だ1/3の米国民が「YES」と言っている。アメリカ人が選挙で選んだわけだし、トランプ自身の問題よりも、選んだ米国民が馬鹿だということになる。

 地球上の生物は、敵と争って勝つ遺伝子だけを残すようなシステムで成り立っている。何事も無く、古代のままの生物しか存在しなければ、きっと「進化」がないだろう。強い遺伝子だけ残ったり、突然変異で新しい形に変化したり、環境の変化に適合するために変異したり・・・・。何が正しいのか、どちらが正しいのか知らないが、殆どの生き物は戦って争って生存競争しているように見える。人間も、ずっと戦争と殺し合いと縄張り争いをしてきた。第2次世界大戦で核兵器が使用されたことにより、その後は世界大戦は起きていない。原子力発電も含めて、人類は究極の物質と兵器を発明してしまった。そのことが抑止になったかどうか判らないが、それを使った戦争が起きれば、国単位はもとより、地球規模の滅亡まで起こり得ると予見し学習したから、一応の静止状態が保たれていた。ところがトランプの出現により、人間一人一人の「心の箍」が外れ、我慢をすることをしなくなった。各国の政治的動きも然り。あの英国も仏国も理性を失い、移民の排除、EU離脱、国家の独立など、利己主義思想が増大し、政治を二分化している。

 それにしても、よくもトランプという大統領を登場させたものだ。地球を滅亡に向かわせるために、神が選んだ、いや悪魔が送り込んだ最後の切り札。確かにトランプだけに・・・。第3次世界大戦を勃発させるために、最も適切なキャラクターを数人選んだように見える。自然破壊を繰り返す人間に、その愚かさを身を持って知らしめるために。神は、地球を一度リセットしたいのかもしれない。

安部の脇の甘さがドンドン露呈してる。妻も含めて、全部が「お友達」がらみ。第一期総理時代に揶揄された「お友達内閣」と何も変わっちゃいない、何も成長していない。滑舌の悪い舌った足らずの喋りで、「下品な野次は止めていちゃだきたい!」と言った5分後に、自分への批判に自らが野次っている姿。言う必要のないのに「私が関わっていちゃら即刻辞めましゅ」と発言したために、存在する文書を無いと嘘をつかざるを得ない側近や各省庁担当者。しかもデジャヴで。常に焦ってムキになって答弁する姿は、小者感丸出し。全世界を飛びまわているようだが、何一つ成果らしい成果が無い。よくもまあ、こんなのが2回も総理をやっているものだ、日本はおめでたい国だ。そうそう、「詳しくは読売新聞を読んでくれ」って、戦後始まって以来の馬鹿発言。ナベツネ健在ということか、一般紙でこんな「御用新聞」化は、太平洋戦争突入前のようだ。

 「アベって、本当にアホだな」と同級生なら言っているだろう。実は小生は学校こそ違え、同じ学年。あちらは岸の孫として東京の豪邸で生まれ、小生は名もなき貧乏人の三男として岡山に生まれ、全く違う空の下で同じ年月を生きてきた。こちらは何もまともな教育を受けず、そろばん塾に行った程度で、中の下の学歴で社会人に。一方の安倍は、幼少期に元総理でありA級戦犯のはずだった岸祖父の膝上で、英才教育を受けてきた。岸ジジ⇒「晋三よ、お前は将来総理大臣になって、私の念願である憲法を改正する偉業を成し遂げるのだぞ」と耳にタコができるほど言われてきた筈。
 だが安倍はレールが敷かれたはずの東大コースには乗れず、私立のお金持ち大学にしか行けなかった。それがコンプレックスであることは間違いない。あの様子では、大学で弁論部にいたとは思えず、ディベートも経験がなかったのではなかろうか? それほど、プレゼンも弁論も討論もみんな上手では無い。というより度胸が無いから、どれも下手である。あの小泉さんのようにハッタリをかませらず、正反対なのだ。

 明らかにリーダーに不向きな人間性。人前で喋ることが苦手で、あがり症で、滑舌が悪く、きっと子供時代から喧嘩をしたことがなかったであろうタイプ。じゃあ何故総理に2回もなれ、「1強時代」として続いているのか? 人間のレベルとしては似たような者である小生だったら、精神的に続かないだろうし、自分の姿を客観的に見たら恥かしくてリーダーを辞退したいだろう(自尊心が許さない)。安部が続く理由は、血統と育ち、そして一族の汚名を晴らして(祖父⇒A級戦犯もどき、父⇒総理目前で死去)自分が歴史に名を残すという目的意識だ。確かに歴史に残る。2回も就任して長期政権なのに、何も成し遂げられなかった・・・・と。
 つくづく人を見る眼が無い。脇が甘いから利用され易い。馬鹿だから言ってはならないことを発言し、その火消しと修復に周囲が躍起になる。森友問題、加計問題、自分にべったりの御用記者の犯罪もみ消し問題・・・、全部アべの脇の甘さと利用され易い体質、夫婦揃ってである。あの準強姦の元TBS記者、なんだか突然TVのワイドショーに出てきて、高飛車で安部への異常な擁護発言で、2回目から見かけたらチャンネルを替えていた胸糞悪さ満載の人物だった。被害者の会見を聞いて、やっぱりな、と小膝を叩いた。少なくとも二度と奴の顔を見なくて済む。

 いかんいかん、安倍批判をし始めると筆が止まらない。こんな馬鹿呼ばわりも、自分のマイナーなHPだから言えるのだろう。「共謀罪法案」を聞いてもよく理解できないが、なんだか自由な物言いが出来ない時代になったものだ。メジャーなブログで発言すると、抹殺される日が来るのかも・・・。

2017年2月13日(月)
映画「ハドソン川の奇跡」⇒傑作!

クリント・イーストウッド監督の「ハドソン川の奇跡」を観た。評論家の評判がかったにもかかわらず、アカデミー賞にノミネートされていなかった(音響・録音賞のみ候補)ので、あまり期待していなかったが、観終わって「これは傑作だ」と唸った。某映画評論家が「プロがプロのために作った映画」と。淡々と事実を描きながら、魂を揺さぶられる素晴らしい映画を作ってくれた。日本の映画賞(ブルーリボン、キネマ旬報他)では、外国映画のベストワンに選出されている。確か、近年のイーストW監督作品=「アメリカン・スナイパー」や「ジャージー・ボーイズ」は、日本での評価は常にベストワンになっているが、本国ではよくてノミネート止まり。過去に「ミリオンダラー・ベイビー」や「許されざる者」などで受賞しまくったから、もうトロフィーは不要だろうとのことか? ま、それは関知するところではないが、日本人好みの作品が多いのかもしれないけれど、この「ハドソン…」は、また一つ傑作が増えたと素直に感じた。イーストW作品は他とは一線を隠している。格が違う・・・というのか、切り口が違う・・・というのか、一種独特の世界観と信念と哲学に基づいて造られているので、見る側も他の映画とは違う感覚なのだ。
 絵画に例えると、葛飾北斎の浮世絵のような。パリ万博の展示で火が点き、日本ブームに。印象派画家がみんな模写して、参考にした世界的画家。画力は他の追随を許さず、無駄を排除した表現力と構図。あの「富嶽三十六景」の神奈川沖の波は、デフォルメやデザイン性という観点でも、誰も超えられない境地の風景画。ギリギリまで無駄を排除した画風と表現力は、2人の共通点と感じる。80代半ばに信州小布施町で描いた屋台の天井画の「究極の波」。最晩年まで画力と表現力を追及した北斎と、やはり80代半ばでも上級の映画を作り続けるイーストW監督、老いてなお成長する所も同じだ。

小説なら、文章である程度の「説明」「解説」が必要になる。だが映画は映像がある。ナレーションを入れなくても、登場人物が台詞で説明しなくても、映像を見れば解ることが多い。だが、みんな説明したがる。台詞で説明しないと観客に伝わらないと不安なのだ。映像も飾り付けて、綺麗に綺麗に見せたがる。だが現実は違う。夜は暗いし、貧乏な家の中は光が少なく汚い。そのリアリティーを徹底的に追及したのが「ミリオンダラー・ベイビー」。半分以上が真っ暗で、何をやっているかよく見えないシーンも。それが逆に、まるでルネッサンスの絵画のようにも見える。主人公の光と影、不幸な生立ち、そしてあまりにも残酷な運命が、リアリズムの陰影で表現されていた。確か撮影賞も受賞した。それ以降のハリウッド映画は、夜は真っ黒に、室内は薄暗く撮影するようになった。まさに「自然光」で。

 今回の「ハドソン川の奇跡」は、世界中のみんなが知っている出来事。飛行機が川に不時着して、全員が奇跡的に助かった。2009年の冬、機長は英雄として世界のニュースになった。その奇跡が起きる物語を見せるのかと思いきや、全くの反対。保険会社や飛行機会社側が、機長の判断ミスで川に不時着したのではとの疑惑を持ち始める。というより、事故の分析・検証としては、当然のことなのかもしれない。そして、運転ミス・判断ミスを追及され、遂には「公聴会」で機長と副機長が証言をする・・・・というストーリー。
 まず、そんな事後の物語があったとは、他の国の我々は全然知らなかった。その驚きと、米国のお国柄にもビックリ。表では英雄でも、裏では莫大な費用の損失と保険適用云々で、非常に嫌らしい動きと個人攻撃。クリント監督は、あくまでも淡々と出来事を描き、しかし徐々に「西部劇的」に対決の構図にしていく。主役と敵役、善と悪の構図に。実際には善人も悪人もないのだが、そこは上手にエンターテイメントの要素も作りつつ、社会を切り取っていた。

ここ十数年のイーストW監督作品は、魂が震える・・・というか、心に響いてい来るように感じる。近作の「アメリカン・スナイパー」もそうだった。人間の「正義」とは何かを考えさせられるような。決して「正義」を押し付けることはしない。淡々と物語や台詞が進んでいくだけに、観客に考える余裕を与えてくれるし、なんだか考えさせられる。撮影は殆ど一発で終わるそうだ。撮り直しが滅多にない。俳優側が、「今のテイクは上手くできなかったので、もう一度やらせてほしい」と頼んでも、静かなトーンで「日常生活でも毎回ベストの言動をしていない。さっきのテイクはグッジョブだったし、納得いかないなら次のシーンで頑張ればいい」と回答するそうだ。リハーサルも滅多にしない。なぜなら、イーストW監督の撮影スタイルが浸透しており、俳優各人が完璧に作り込んで役に成りきって臨むから、初日から即本番撮影できるのだ。だから、撮影日数は少なくて終わるし、俳優たちは尊敬するクリントに褒められて仕事ができるから、全員が満足感いっぱいで仕事を終われる。編集でスパスパ切っていくから、無駄がなく説明的なシーンがない。

 この映画、2時間余りだろうな・・・と思っていたら、たった1時間30分で終わった。もっと見たいと名残惜しかった。主役のトム・ハンクスは完璧に実在の機長に成り切っていた。相当減量したようだし、顔つきまで似ていた。久しぶりにハンクスの名演を見た。
 実は、半分ぐらい観ながら泣いていた。年取ったから? 別に泣かせるシーンなど無いのに、自然と涙が流れ続けた。時には主役の悔しさ、ベストの判断をしたはずなのに、いや違っていたかもしれないとの不安と恐怖、時には乗客たちの不時着への恐怖への共感、助かった時の生きている喜びへの共感、公聴会での機長のスピーチと副機長との信頼関係、そして物事が好転・逆転してくプロセスの痛快さ。各場面の感情移入で、涙がこぼれた。

 最上級の人間ドラマであり、西部劇(?)であり、人それぞれの人生の喜びを考えさせてくれる物語だった。映画賞の受賞が少ないのは、イーストWがトランプの応援発言をしたからだろうか? あまりにも酷い米国第一主義の暴走大統領を見ると、クリントも流石に自分の選挙応援が違っていたかも・・・と感じているかもしれない。

NHKの「ファミリー・ヒストリー」が好きで、よく観ている。初期の頃は先祖が名のある人だった・・・・的なことが多かったが、そんな偉人ルーツが続くはずも無く、今は名もなき普通の祖先。俳優や芸人が出て、「祖父までは判るんですが、その前が不明で・・・」とか、「母方の祖父母の話を殆ど聞かなかった」とか、近いルーツ辿りも目立つ。だが、それのほうが身近に感じる。特に第2次世界大戦がらみで、戦死したとか捕虜になったとか、満州以降が消息不明とか、その時代の話になると、涙なしでは聞けない物語とか生立ちとか。共通点があるとすれば、母親の強さ。だいたい、病気で先に死ぬのは男。もちろん戦死もある。しかし乳飲み子を抱えて、生き抜いていかねばならない。強く逞しく、朝から晩まで寝る間も惜しんで働くのは、みんな母親である。同じ局の「ダーウィンが来た」を観ても感じるのは母親のお蔭で命を繋いでいるのだな、と。動物は雌が狩りをして子供を育てて、天敵に遣られないように身を守り逃げ方を教育している。

 小生は岡山県出身で、岡山に本社がある会社(教育系出版社)に就職した。創業者の社長は、岡山で小学校の教師を経験した後、会社を起ち上げた人物。その方と、もしかすると知り合いだったのではないか、との人物が出てきた。この日の主役はケンコバことケンドー小林。彼の母方の祖父が岡山県の人で、高梁市の小学校の校長先生から、町会議員(当時は市ではなく町だった?)になり、町長に立候補した人物と。まさに、その地域では皆から尊敬を受ける教育者であり名士だったようだ。外見も立派な印象で、その点でも勤めていた会社の創業者と似ている。年齢も同年代。接点があったかもしれない。ケンコバの両親も教師で、教育一家の出。彼は、そのお堅いイメージを壊すために、わざと変態的な人物をを演じているとの噂も。
 もう一人岡山に関係する有名人がいた。倉本聰、あの北の国からの脚本家。生まれは東京だが、母方のルーツは岡山で、戦時中に疎開をしたこともあったようだ。やはり、教育者の人だったと記憶する。ここのところ、自分の出身地の岡山が続いて、久しぶりに懐かしく感じた。

 松方弘樹、目黒祐樹兄弟のルーツを先週やっていた。もう昨年暮れに、かなり危険な状態だったので、弟だけの出演で収録して回復を祈ったが、叶わぬ結果になったので、急遽放送したと推測する。兄弟の父親の近衛十四郎の生立ちや人生、母親との馴れ初め、そして松方弘樹を中心に紹介された。

 小生、若いころから松方弘樹に似ていると言われ、「元気が出るテレビ」に出ていた時が最も言われた。松方氏が40歳前後、小生が30前後。オシボリで額の汗を拭きながら笑っているだけの姿が恥ずかしく、当時は似ていると言われることが嫌だった。しかし40前後ではちゃっかり、サラリーマン時代の赤P先生感謝会で支社長挨拶を複数回するとき、「〇〇の松方弘樹こと大橋です」と冒頭で使い、常に笑いを取っていた。所謂、「掴みはOK!」というヤツ。
 今回改めて若いころの映像を見ると、20代のデビューしたての松方氏が一番似ていたと思う。はにかんだような仕草は、自分の若いころとソックリ。自分が若い時に8ミリで撮られた映像が蘇る。そして父親の近衛氏。てっきり父親に似ていると思っていたが、今回のNHKで近衛氏の沢山の映像で解ったのは、母親の家系に顔が似ていたことだ(特に目のあたり)。近衛十四郎と小生の母系の顔が似ていたから、自分たちが似ていることが判明。松方氏も私同様に左利き。エラから顎の形が同じなので、声もそっくり。顔の骨格が似ていると、声の出し方が似るらしい。他人にはどうでもいいことだが、自分にとっての「ファミリー・ヒストリー」を疑似体験した思いだった。
 松方さんのご冥福を祈ります。

2016年12月7日(水)
老人と私、そして覚醒
    

年齢のイメージを素直に受け入れるか、若い時のままの気持でいくか、迷っている。つい数年前の50歳台の時は、殆ど意識しなかった。だが、「60歳」の声を聞くと、なんだか突然老けたように感じはじめた。自分が子供のころは、60歳過ぎると立派な老人だった。平均寿命が延びた現代は、まだ60歳は若いと言われるが・・・。鏡に映る姿は、日々見慣れているので、老けた実感は少ない。ところが、群衆の中で自分の姿を見つけると、他者との相対比較で、明らかに老人がそこに居るのだ。地下鉄の車窓に写る白髪の男、街のウィンドーに写った自分の姿、完璧な老人の男だ。
 体のあちらこちらが痛い。動作も驚くほど鈍くなった。空間認識が狂ってきており、とにかくつま先や指先をはじめ体の様々な所を柱や壁にぶつける。もちろん動悸息切れも激しくなり、身体や運動能力は老化している。血液検査の各数値は、10年前に比べると少し良化しているのは不思議なこと。体重が20s近く増加したのに(要するに肥満)・・・。酒量が減ったり、喫煙を止めたことが要因かも。但し、体の色々な部分が老化で痛くなったり悪化したりで、常に病院で治療を受けている。

半年ほど前に、「老人であること」を自覚せざるを得ない決定的な出来事があった。持病の一つ=粉瘤の再発で、隔日で病院に通い、治療を受けていた。臀部にできた粉瘤(オデキの悪化)を4年前に外科手術してもらい、なんとか沈静化していたが、再発して腫れて、処置を受け・・・・を2回繰り返していた。大変なストレス。激痛と、再発を繰り返す不安と、何より臀部を晒すこと。2回の再発で、ゴルフも断念し、もう精神的辛さはピークに達していた。
 そんな通院の待合室、乱暴にどすんと座ってブツブツ文句を言っている患者と目が合う。こちらは形成外科で、向こうは整形外科。大病院で、その二つの科が隣り合わせしており、整形が大混雑でこちらに来たようだ。普通なら「ちょっと失礼します」的に遠慮がちに座るもの。ところが、手荷物をパンと置いて音をたてて座った。中年の男。生来の曲がったことが許せない性格の小生、ひと睨みしたら相手も睨んできた。そして口論。特に小生のほうから多くの罵声を浴びせたようだ。喧嘩慣れしていないが、小心さを隠すために吠える戦法。長く生きていると色々な場面に出くわし、知らぬ間に身についたようだ。途中、相手の
「ジジイのくせに・・・・」との言葉が耳に入った。

ジジイだと? 一層語気強く口論した時に、中の医師や看護士が仲裁に。すぐに病室に入って、医師になだめられ、落ち着いたところで治療と処置。冷静になると、相手の態度は許せないものの、病院での自分の大きな声と罵声は羞恥。どんどん反省し、治療が終わったら、「相手と仲直りして帰る」と看護士に伝え、清算する前に喧嘩相手と握手して帰宅した。
 ただ、大病院(虎の門病院)の1階で最も患者が多い場所。精算所まで歩く際に、高齢者の患者たちの鋭く刺す軽蔑の視線が痛かった。『さっきの大きな声で言い争いしていたのはこいつか』との目・・・。

 もう止めよう。喧嘩をしたり、口論したり、自分の正義感を押し通すのは。老人なんだから、老人らしく静かに生活しようと痛感した。頭に血が上ったときは自分の年齢など忘れる。だが、相手から見ると、白髪の老人が怒っている⇒最近多いクレーマー老人的な・・・。哀れなのか、不思議なのか、触らぬ神に祟りなしなのか、自分の姿を俯瞰すると、酷い姿だ。

老人の言動は、男女で明らかに違う。爺さんはオドオドと周りに気遣いして、大人しい老人となり、背中を丸めて歩いている。婆さんは堂々と振る舞い、大きい声で喋って自己主張している。男は単独行動になっていき、女は集団行動で
ワイワイ騒いでいる。先日、コンビニでレジに並んで順番を待っていたが、高齢の男性がそわそわと後ろを気にして、速く済まそうとしていた。逆におばさんは後ろに並んで待っている人を気にもせずに店員と話し込んでいる。観光地の土産物店で、体がぶつかってきたり割り込んで来るのは必ずオバサンやお婆さんである。オジジは「すいません」と一言ある。
 まあ、みんなそうではない。たまには男女逆のケースもある。だが、9割がたこのパターンだ。日本人の平均寿命が、男80歳、女87歳と、10歳近く違う訳だ。

前述の粉瘤が治癒してやっとゴルフ復帰した10月のある日。実は、プレイ途中に足を痛めて、3ホールを残して途中棄権する事件が起きた。無理すれば出来ただろうが、その後に車を運転して帰らねばならないので、無理をしなかった。そして、足の痛みが重大な原因を孕んでいたら今後の生活に支障を来たすことになるので、問題回避のために棄権は苦渋の判断。やはり一連の「老化」を自覚したからの決断だった。
 幸い、両足の膝上もも部分が痙攣したことが原因だったようで、大事には至らなかった。この日は体調がよく、天気も絶好で、前半のハーフは内容も良かった。普段ならカートに多く乗る人間が、結構歩いたり、同伴者のトラブルで一緒に球を探しに行ったりで、いつもより足への負荷が大きかったようだ。後半徐々に疲れと痛みが来て、何度も屈伸していたが、ショットが乱れて崖下に。打てる場所だったので、崖下まで降りて上に戻すショットをした後、昇ってコースに戻ろうとした時に足に激痛。仕方なく、直接戻らないで下の道を通ってコースに帰ろうとしたが、全く足が前に出ない。「歩けない!」と感じた時、生まれて初めて自分の体の異変に恐怖を覚えた。

 もうゴルフも止めた! そう決意して、ゴル友にも伝え、足をほぐすためにゆっくりゴルフ場風呂に浸かり、家路に向かった。ところが相変わらずの高速渋滞。最近とみに渋滞すると眠くなる。睡魔と闘いながら、居眠り運転ギリギリで何とか事故無く帰宅した。足の指先の痙攣とも闘いながら。一層無理。ゴル友は働いているので、一緒にプレイするとなると土日になる。だが、常に渋滞で早朝から出掛けねばならず、帰りも大渋滞で居眠り運転の危険と背中合わせ。仮にやるとしても、もう平日しかゴルフのプレイはできない。&できれば乗入れカートの可能なゴルフ場しか・・・・。

 ゴルフが上手だった50歳前半をピークに、今はどんどん下手になっている。やはり自分の思うようなプレイが出来ないのは大きなストレス。ショットをミスっても、寄せワンでパーを獲るのが真骨頂だった。アプローチの腕はシングルを自負していた時代が懐かしい。だが今は、ビビッてアプローチして恐ろしいミスをして一層スコアを乱している。それを防ぐために、昔は練習の鬼だった。練習が好きで、例えば200球打ったら、150球をアプローチの練習に充てていた。今は体の痛みで練習できなくなり、且つ1ラウンドの半分までしか集中力も気力も体力も保たなくなった。先日も含めて、この数戦を振り返っても毎回後半がボロボロになる。そろそろ潮時だ、と。

ところが、日本人プロゴルファーの松山の活躍を見ると、体がうずうずしてくる。遂にタイガー・ウッズも復活した。彼が主催した試合で、松山が優勝したのだが、タイガー自身も1年半ぶりに選手として復帰し、随所に往年のパワーと技を見せていた。もちろんミスも多く、体力的にも最終日はかなり崩れたが、それでも1日65(−7)の好スコアーもあった。来年から完全復帰するようなので、何かが欠けていたPGAツアーが面白くなるし、日本人初メジャーの期待と相俟って、Wで楽しみが増えた。
 そんなことを考えていると、わくわくして胸が躍る。自分のピーク時のナイスプレイやスーパーショットを想起する。ここ数年は、ミスしたショットやOBなどの嫌なイメージばかり想起していた。グダグダと老化⇒ゴルフ引退のネガティヴ思考から一転して、なんだか「もう一度80台で回ってみたい」との意欲が出てきた。

 自分の老化現象を色々と考えてきたし、老人らしく振舞おうと一時は決心したが、どうやら変更したほうが良さそうだ。人間、生きていることだけで幸せ。例え老化しようが、生きていれば、何でもできる。反対に、明日死ぬかもわからない。それなのに、老けた老けた・・・とくよくよ生きて、何が楽しいのか? 一層老けるだけだ。

 全部捨てよう! 気持から若返ろう!
 もう一度、チャレンジしてみよう!
 

2016年10月12日(水)
21世紀の偉大な映画ランキング

「千と千尋の神隠し」が4位・・・との見出しに惹かれて記事を読み、ランキングをチェック。英国BBCの企画で、この16年間に公開された映画=「21世紀の偉大な映画ベスト100」を発表。そのベスト10の中に、日本のアニメ「千と千尋・・・」が4位に入っており、ちょっと驚いた。確かに宮崎アニメの代表作の一つで、アカデミー賞アニメ作品賞を受賞した名作だが、そんなに凄い映画?と少し疑問。誰が、どんな基準で選出したか明記されていないので、価値判断がよく解らないが、とにかく英国人にとっては凄い映画ということだろう。
 では第1位の映画は?

「マルホランド・ドライブ」デビット・リンチ監督

らしい。なんだが記憶に残っている題名・・・そうだ、1年ほど前にブルーレイを買って、最初の30分ぐらいで眠ってしまい、そのまま最後まで観ていない映画だ。探したら見つかったので、今度は最後まで観た。全く難解。前半はまだついて行けたが、後半はさっぱり意味不明。なんで、こんな訳のわからない映画が偉大な映画1位なのか、見当がつかなかった。だが、何かが引っ掛かる、心に残る。如何にもデビット・リンチ作品と言ってしまえばそれまでだが、自分が年を取ってしまうと難解な映画を理解しようとする脳細胞は機能しない。仕方がないので、ネットで検索し、解説を読んだ。ご丁寧に、映画好きの個人ブログで、ネタバレというより監督の意図まで細かく推理・解読し、悦に入っている人がいた。その解説を読んで、やっと理解した。

要するに、順番を入れ替えているのだ。ここからはネタバレがあるので、これから映画を観ようという人は読まないでいただきたいが、時間軸で言うと前半と後半を逆にしてるのだ。しかも入れ替えた前半部分が、実は現実ではなく夢の世界だから、一層複雑に入り組んでいる。そのわざと解り難くしている編集が評価されたわけでなかろうが、物語の難易度と印象度を高くして、映画芸術性を高めようとした監督の意図はあったと思う。確かに、観終わって解説を読んだら、あ〜なるほど、そういうことだったのかと、難解だったシーンの印象度が強く刻み込まれるから不思議だ。

 内容は、主人公の田舎娘がコンテストで優勝して、ハリウッドに行って女優を目指すが、なかなか役に恵まれない・・・・的な話。そこに恋愛や嫉妬、殺人やホラーなど、様々要素が絡み合い、サスペンス的に物語が進んでいく。舞台はハリウッド。米国映画界のドロドロした内幕を暴く・・・というか、汚らしい実態を表現することが、監督の最大の目的だったのだろう。マフィアの存在抜きでは語れないハリウッドの裏側、金を出す制作者からの主演俳優や監督の押しつけ、黒幕のドンの存在、裏では平気で殺人を実行、同性愛が当たり前の世界などなど。映画では主演女優の同性愛を描いているが、実際は男社会だからゲイが横行する世界。女性同士の恋愛にして、少しは受け入れ易くしたのだろう。

 何の説明もなく、時間軸を逆にし、どれが現実なのか夢なのか、何も考えずに観ていると頭が混乱し、根底に流れている主題が「ハリウッド映画界への風刺」なので、まさに「硬派」バリバリの映画芸術作品という感じ。それでいてコミカルな場面もあったり、アートっぽい画面が多かったり、主人公が泣きながら自慰をするシーンは衝撃的で、ちょっとビックリする。監督の凝りに凝った映画であることは、「10のシーンでヒントを仕掛けた」とのコメントが象徴している。
 観客に、そしてハリウッドの特殊社会に、挑戦状を叩きつけたような映画。俺の作った映画&メッセージを、君らは解るかい? って。
⇒私の回答⇒「よく解らない」「ただ、色々なシーンが印象には残っている」

 これだけ評価の高い映画なので、公開当時(2002年頃)は数多くの映画賞を獲ったようだ。ただ、アカデミー賞だけは、主演女優賞や脚本賞等のノミネートだけで、一つも最優秀賞の受賞はなかった。なぜなら、ハリウッドの映画関係者が投票者の多くを占めるので、そのハリウッド批判映画に投票する人は少なかったのが理由。

歌舞伎役者市川海老蔵の奥さん、小林麻央さんのブログが泣かせる。まだ30歳代半ば、あまりにも若い。傍若無人な言動が目立っていた海老蔵と正反対に、真面目で健気な人物だけに、一層可哀そう。最近、芸能人のがん闘病のニュースを多く目にする。特に女性の「乳がん」は顕著だ。生存率の高い種類のガンと認識していたが、若年齢化が進んでいるのも事実。女性の大切にしたい心理から手術でガン細胞を切除せず、乳房を残す治療法を選択することも、再発を繰り返す一因になっているようだ。いずれにせよ、転移・再発が多く、しかし生存率がいために抗癌剤の治療が非常に辛い種類の病気のようだ。

 麻央さんは、肺と骨に転移しているとブログで公表。第4期の進行度合いで、かなり厳しい状況と。本人も「奇跡が起きてほしい」とか「あと3年、5年・・・少しでも長く生きたい」と語っている。覚悟のブログ公表なのだろう。更新する度に、TVのワイドショーやネットのヤフーニュースで取り上げられることは仕方ないし、分かっていること。それも承知の上でブログを再開した。何百、何千のコメントが記入されており、その一部を読むと、どれだけ多くの人が同様の闘病をしていることか。あるいは、自分の家族が闘病とか・・・。麻央さんのブログを読んで励まされた勇気づけられた&少しでも励ましたい、と。

 なぜだろう? 世の中は公平・平等ではないと痛感。誰にでも優しい人、健気に生きている人、自分は我慢して他人のために尽くしている人、そんな人に限って早世。反対に、自分勝手で、他人にプレッシャーや圧力を与える人間に限って、ガンにもならず病気もせず長生きしている。所謂、「悪い奴ほどよく眠る」ってやつだ。ガンの原因は解明されていないが、「ストレス」が一因とも言われている。我慢して、辛い思いをすることは、免疫力を相当に下げると言われる。人間関係で苦しむことも、相当なストレス。要するに、嫌な事を排除して、自分を開放してやることが、抗癌の最良の薬であり防衛かもしれない。小生と同世代の相撲の横綱が相次いでガンで亡くなった。最も苦手な人間関係、そして票集めの厭らしい攻防。特に元千代の富士は、想像を超えるストレスだったようだ。

 素直に、小林麻央さんには奇跡が起きてほしいと願う。生存率が10〜20%なら、その中のグループに入って欲しいと祈念する。

田中角栄を書いた小説「天才」を読んで、石原慎太郎は流石に芥川賞作家だなと感心した。それだけ面白かったし、この人、本当は角栄の隠れファンだったなとも。だが、小池劇場のいきなりの見せ場に、最初に殺される(?)悪人として登場するとは…。所詮、単なる小説家でしかなかった。ヘンな格好でウォーキングをする老人が、ペラペラと喋ったために自分の首を絞める。あたふたと「喋らない」とか「自分は何も知らない」とかの文書を出したり、醜態をさらして晩節を汚している。だけど、「地下空間、例えば箱のようなものを作ればコストダウン・・・」と明らかに喋っている。残念ながら、文明の世の中は全て映像が残っているのだ。
 本当に石原って、肝っ玉の小さい人間だなと思う。思い起こせば、知事時代の会見で記者からちょっとでも気に障る質問や、痛い所を突かれる質問があったら、瞬間湯沸かし器で烈火の如く怒ってその記者を攻めたて、空気を凍りつかせていた。キャンキャン吠える小型犬系。そういえば、小池劇場の次に殺されそうな悪代官=森喜朗も同系列。図体はデカいが、ノミの心臓。サメの脳みそとも言われたが、前述にある「悪い奴ほどよく眠る」の通り、未だに元気でぴんぴんしている。憶病な人間ほど自分の体に神経質だから、なかなか死なないのかも。これも石原同様、すぐ怒って吠える。余裕でいなすとか、泳がすとか、政治家だったのにテクニックを知らないようだ。親密なゼネコンへの発注のために、五輪会長職についたようなもの。五輪費用超増大化の元凶。例のボート競技場を受注した会社と昵懇と週刊誌記事。どんな殺され方をするか、見ものだ。
 悪人の親玉は最後に控えている。今回の小池劇場で遂に姿を現した都議会のドンこと、内田。どんな人物か、声を聞いたことはないが、近々出てくることになるだろう。週刊誌によれば、都議を牛耳っている理由は、ヤバイ組織との繋がりも噂されている。まあ、そうだろう、色々な後ろ盾があって、最上級の悪代官になれるのだから。どこまで表に引っ張りだせるか、あるいは無力な立場にできるか、その攻防が都政改革の最大の山場だ。

それにしても、小池さん、「風見鶏」と揶揄されたあんたが、こんな本気で性根入れてやれる人間とは思わなかった。驚いた。圧倒的な得票率で当選したときは、他の候補が弱過ぎたこともあったが、堂々と自民党に反旗を翻して、いつでも首切ってくれとの覚悟で出馬したから、「あんまり好きではないが(過去の言動からも)、どうも腐ったように見える都政にメスを入れられるのは、唯一小池のみ」と感じたから、投票した都民が多かったはず。蓋を開けたら、都政は本当に腐っていた。都庁の役人も、議員も。小池さんがパンドラの箱を開けてくれた。こりゃあ、もうみんな小池応援団だ(今の所)。
 豊洲問題も、五輪会場費用増大問題も、最後まで追求してほしい。だが、果たして体力と気力は続くのか? 今後は批判ではなく実行責任が問われるので、落としどころはどこか? ⇒やり切ってもらいたい。

 小池さんは、派閥もしがらみもゼネコンとの癒着も何もなさそうだから、今回の追求と攻撃ができるのかもしれない。あるいは、女性だからできたのか? 確かに、女のほうが度胸が据わっている。動物界を見ても、殆どの生き物は雌のほうが強く生命力がある。劣悪な環境でも、子供を産み育てる。人間界でも、最後に頼りになるのは、どこの国でも女性のようだ。先般も、英国がEUからの離脱について国民投票したとき、騒いだのは男ばかりで、現職首相も野党代表も、みんな尻尾を巻いて逃げた。尻拭いは、新任の女性首相がやっている。

2016年7月14 日(木)
お世話になった方の死

まずは報告。5月に応募した絵画作品展、入選しました。一番下の賞ですが、初応募で初入選は自分の中では及第点以上です。この応募に、自分の将来を天秤に掛けていました。落選なら、自分に能力が無いと諦めて、趣味の範囲内で絵を描くレベルで。もし入選したら、プロの画家の道を目指すとの天秤。晴れて入選したので、今後は遅咲きの「画家」になる方向で。
(尚、入選作品は9月に展示会があるので、それまではこのHPでの作品紹介は避けます。展示会後には当「絵画個展」ページで紹介します)

 但し、この上野の森美術館の自然を描く展は、来年以降応募しないと思う。なぜって? 今回29回目だが、部門賞が公式HPで公表されたのを見て、絵に対する価値観が違うと痛感し、決めた。特別賞20作品の内、半分がそっくり。色調、タッチ、構図、テーマ・・・・まるで同じ人が描いたのではないかと思えるほど。中間色を使い、見ていて暗く嫌〜な気分にさせる絵ばかり。現代の日本の画壇の流行かも知れない。あるいは、数人しかいない審査員の好みかもしれない。過去の受賞作品を見ても、ここ数年ずっと似ている。やっぱり、フジサンケイGの主催する事業だなとも感じた。
 いや、ケチを付けるつもりもないし、自分の入選は素直に喜んでいるが、受賞作品に対する価値観は、自分の好みとか目指す方向とは正反対なので、来年は別のコンテストに応募する。因みに今年中に2本の公募、来年春にはいよいよ「二科展」に応募する予定。それまでは、せっせとコンテスト向けの作品制作に没頭する。


小生の人生の中で、最も長期間お世話になった方が亡くなった。享年84歳。日本人男性の平均寿命が約81歳だから、平均以上の長生きだった。ただ、ここ数年お会いしていなかったので、お元気な時の姿しか記憶にない。また、TVに出てくる高齢者は、みんな若く見える元気な人しか出てこない。88歳でも92歳でも、インタビュアーが「え〜、そんなお年なんですか? 若く見えますう〜」という元気老人ばかり。84歳で亡くなったと伺って、その年齢は、まだ元気な老人と勘違いしていた。年齢的には、十分に人生を全うしたと考えを改めた。そして、自分の年齢を再認識。心の中の年齢と、本当の現実の年齢(自分)・・・、丁度二回り年上のあの方が84歳なら、自分も立派な老人の61歳なんだよな、と。確かに、地下鉄で吊革に捉まって立っていると、暗い車窓に老人の姿が写っている。自分の隣に老人が・・・・いやいや、自分だ、俺の姿が写っているのだあ〜って。恐ろしい現実を突き付けられる瞬間。

 恩師と呼べる人を作れなかった(作らなかった)自分の人間関係を振り返ると、今回亡くなった方が唯一の「恩師」だったかもしれない。会社員時代に数年間上司だった。それが縁で仲良くなり、みんなでテニス合宿に行ったり、当時はまだ高嶺の花だったゴルフを始めたり・・・。ゴルフを本格的にプレイする人は限られており、数人の中で私だけが残って、その方の社外の友人で形成したゴルフコンペに誘われてからは、ゴルフ仲間として近くなって行った。
 その後、小生が脱サラして会社を興した時、株式会社の発起人や役員として加わっていただいたり、公私ともにお世話になったのである。その後は、徐々に交流が下火になっていった。ターニングポイントは、高齢による足腰の老化でゴルフができなくなったこと。暫くは皆でゴルフをした後に、その方の別荘にお邪魔して、皆で宴会をすることでお付き合いが続いたが、お互いに病気をしたり、色々あってここ4年間はお会いしていなかった。

7年ぶりの「諏訪大社の御柱祭」の様子をテレビで見ながら、久しぶりにお会いしようと考えていた。なぜなら、その方の別荘が八ヶ岳の麓にあり、宴会をする食堂兼民宿が御柱祭の中継基地になっており、食堂の主人から御柱の話を伺ったことを思い出したからだ。虫の知らせというか、今年の御柱祭の丁度その頃に亡くなったことを、後で知った。
 お世話になった人なのに、なぜ死に目に会えなかったかって? それが小生の問題なのだ。人間関係を大事にしないというか、疎遠になっていくとドンドン離れていく性分。何かをきっかけに、一切自分から連絡しなくなる&過去を捨てるところがある。若いころは、それで問題なかったし、未来だけを見て生きてきたことに不自由はなかった。だが、年を取って、ある時に、後ろを振り返ってみると誰もいなかった・・・・的な出来事に遭遇したとき(心の持ち方だが)、やっと気付いた。自尊心がく、孤高に生きて来た人間が、生き物としてふと弱気になったときに、自分の老化を自覚し、これまでの生き方を悔いる・・・・そんな感じだろうか。いずれにせよ、お世話になった人からも連絡が無いので、そのまま数年が過ぎ去った。そして、他の人から風の便りで訃報を聞き、自分の愚かさに気付いた次第。もう少し早く会っておけばよかった――と。

 御挨拶でお宅に伺い、奥さんから近況をお聞きしたら、ここ数年は会える状態ではなかったようだ。特別養護老人ホームに入所していたり、老健病院に入院していたり、少し認知症があったり、まさに要介護状態で面会が困難だったと聞き、自分の不義理に対して少し言い訳的な気持に⇒会わないほうば良かった状態だったと思い込もう・・・と。本人は最後まで自分でやろうとして、退院した時に車椅子も使わず出掛けて、途中倒れて救急車で運ばれたこともあったそうだ。介護する奥さんの立場には大迷惑のようだったが、誇り高く&自尊心高く生き抜きたかったと想像する。心が老いていないので、思う通り体が動かないことにイライラが募る。そのことでどんどん頑固老人になり、施設でも病院でも色々とトラブルがあったらしい。
 長寿社会、しかし80歳を超えて元気なのは女性ばかり。多くの男は病気や老化で要介護状態となり、本人は心と体のバランスが崩れて行くことを痛感する。それが現実なのだ。

やっぱり、足腰が最重要事項かもしれない。自分の足で歩けないことが、老化を加速させることを再認識。骨折で入院したらそのまま寝たきりになるとも聞く。その方も、内臓は非常に元気だったのに、腰痛の手術をしてから一層歩くのが困難となり、また軽い脳梗塞を発症して、70歳台半ばから一気に老化が進んだような気がする。当時は他人事のように見ていたが、自分も意識すべき年齢になってきた。そして、人間関係の形成を少しでも改善しなければと痛感する。


 20年前が最もゴルフでご一緒していた時期。別荘に一泊して、ゴルフを2日プレイして、まだ滞在するその方を別荘に送って、我々は東京に帰宅するのが恒例だった。寂しそうに手を振って我々を見送る姿が脳裏に浮かぶ。

 ご冥福をお祈りします。安らかに眠ってください。

2016年5月27日(金)
絵画作品展への応募

人生で初めて絵画作品展へ応募した。絵画教室に通って、思っている以上に画力がありそうなことに気付き、且つ、脳のある箇所が刺激されたか何かで、教室の週1回2時間の授業では物足りないので、同時並行でどんどん絵を描くようになった(具体的には当HP「絵画個展」頁参照)。
 昨年の晩秋、ある画家の個展を見に行く機会が。色鉛筆だけで描いた絵画は珍しい。柔らかいタッチで、ちょっと部屋に飾りたくなる雰囲気のある絵だった。画家は私よりも5〜6歳年上で、気さくな方だったので、話を伺うためにアトリエを訪問した。その際、自分の制作した作品を紹介すると、かなり褒めていただいた。気分を良くして、
「もしも、画家として残りの人生を過ごすとしたら、どうすればいいいですか? 何か手順のようなものはありますか?」
と話半分で聞いてみた。すると即座に
「名刺の肩書に画家と表記すれば、それでいい」と回答。
「そして、個展を開いて絵を販売するにしても、展覧会への入選等の実績があったほうが有利。色々な作品展があるから、応募してみたら?」とも。

 それで紹介してもらったのが今回応募した「上野の森美術館:日本の自然を描く展」である。「自分も以前に応募して入選した。プロからアマまで何の制限も無い公募。力試し、登竜門としては、丁度いい」と言われ、〆切まで約3カ月半の期間があったので、新作を描くのに間に合う時間だった。

 課題の「日本の自然」を1作品、自由課題も1作品、計2作品を応募した。大賞を含めて特別賞が約10本、優秀賞30本、佳作賞60本、計約100本の賞が贈られるとのこと。そして入選は何百本か選ばれるそうだ。昨年度の応募総数が約4600作品だから、日本で一番多いのではなかろうか。上手くいけば入選に1本引っ掛かれば御の字。入選本数はかなり多いようだが、逆に見れば何千人も落選するわけだから、甘くはないだろう。過去の受賞作品を見ると、普通の写実的な絵画は殆ど無い。抽象画でもない。みんなトーンや色遣いが暗く、アートっぽい作品ばかり。それをネットで見たうえで作品に取りかかったので、ほんの少しだけアートっぽさを加味した。ただ所詮素人。美大で勉強をしていないので、表現できるはずもない。まあ、今の自分の実力を素直に出して、少し表現を遊んでみたという感じ。精一杯描いた。入選すれば自信になるし、次の別の公募展への弾みがつく。
 結果は5月末には判明する。黙っていたら、落選したということで・・・。

考えてみれば、「画家」になるのは子供の頃の夢だった。50年近く前の小学校卒業文集に書いた記憶。しかし美大にも行かず、専門学校で学ぶこともなく、普通のサラリーマンに。引退したら、ゴーギャンのように南の島に移住して絵を描くというのが老後の夢に変化していた。実際、数年前に海の近くにアトリエを持ち、我流で絵を描き始めたが、数年で行き詰まる。描く目的が無く、何のために描くのか、自分で見えなくなっていた。そこで、絵画教室で基礎から学びたい&自己発見してみたい・・・と。
 一応、雲は晴れて先の景色は見えた。どうなるか判らない。また年齢的にも生命のゴールが何時来るか判らない。何も考えず、自然体で走ってみる。

上野の森美術館に作品を持ち込んだ後、折角の機会だから国立西洋美術館他でやっている展覧会を観た。(※上記のカタログ写真)
「カラヴァッジョ展」
「黒田清輝」
運よく2つもいいのがあった。NHKの美術番組でやっていたのを1ヵ月ほど前に見ていたから、尚さら興味深く&理解度も高かった。
カラヴァッジョは、ルネッサンス期の後に登場したイタリア人画家。圧倒的な画力と写実力で、フェルメールやレンブラントに影響を与えたと思われる天才。時代的には1590年〜1610年あたりの作品で、日本なら戦国時代の「真田丸」と同時期。決闘による殺人罪で逃亡者の身ながら、絵は描き続けた。だが、39歳の若さでこの世を去った。2年前に「法悦のマグダラのマリア」が発見され、世界中でブームになったようだ。
 約400年も前の絵画なのに、素晴らしい迫力と美しさ。修復の有無は判らないが、そこは油絵。使った絵具の種類もあるだろうが、照明を反射して細かい筆使いまで解るし光沢がある。また、作品が大きいので、その迫力に圧倒される。上記のパンフレット写真の、静物画と人物画が一緒になったものは、彼が先駆者。逸話として残っているのは、この絵を見て鳥が葡萄を啄ばんだほどの写実。だが本人は気にいらない⇒「本物の人間が持っていたら鳥は警戒して来ない」と。そこまで写実を追及した、孤高の天才画家だった。

 黒田清輝に対するイメージは、今回展覧会を観て、印象がガラリと変わった。黒田と聞くと、「日本における洋画家の第一人者」との評価で、上記チケット写真の「湖畔」が」代表作。油絵だが、淡いタッチで、まるで日本画と油絵を融合させたような印象。正直、この絵しか知らなかったが、先日NHKの番組を見て、実は裸婦を発表して、明治時代の日本画壇に大きな驚きとスキャンダルを巻き起こしたと知り、俄然興味が高まっていた。
 まず、描いた絵の点数の多さが凄い。そして、画力・・・というか上手い! 人物画も風景画も、下描きやスケッチも唸るほど巧い。やっぱり画力は天才的で、且つ年がら年中絵を描き続け、フランスの留学中も凄い絵を描き続けたようだ。日本のみならず、本場の欧州でも評価が高かったのが解る。実際、展覧会でも数多く受賞したようだ。仏国で描いた女性の絵(写真右)、20代の留学していた時期の油絵だが、数多く描いているモデルは殆ど同じ女性。下宿先の娘さんで、恋人関係にあった人らしい。時期は印象派と重なるが、マネやミレーやドガに勝るとも劣らないほどの人物画力。この時代の女性の絵が最も脂が乗っていたと想像。前の時代(例:ルネッサンス)のように背景を真っ暗にせず、庭の風景や室内なら家具を自然と描いている。色調も明るさも印象派時代という感じ。帰国後まもなく「湖畔」を発表したが、培ったものは完全に仏国留学時代のものだった。いやいや、大きい作品も多く、とにかく画力と絵の美しさに圧倒された。それと、やっぱり油絵の光沢というか、絵具の厚み。今、家ではアクリル画を描いているが、水彩も含めて色々な絵を描くつもりだが、大作はやっぱり油絵だなと痛感。人物画、肖像画もどんどん描いて練習しようと改めて感じた。

 黒田の人物画は9割がた女性。軍人や政治家の肖像画は流石に男性だが、自分の意思で描いたものは殆ど女性。裸婦も数多い。そして目立つのは欧州的美人ばかり。留学時代は当然地元フランス女性ばかりで、美形ぞろい。日本女性も、どちらかといえば白人的な堀の深い&知的な美人ばかり。余程の女好きなんだろうと思った。画家では珍しい。ミケランジェロ、ダビンチはじめ、著名な画家は殆どがゲイ。彼らが描く壁画や彫刻で特にギリシャ神話ものは、ムキムキの男の筋肉ばかり。だから、9割がた女性ばかり描いた黒田は珍しい。
 
これまで自分が主に描いた絵は風景画か静物画。動物もサラブレッド以外は滅多に描いていない。果たして自分は何を描くべきか? 画家にとって永遠のテーマだと思うが。晩年の今からスタートした自分にとっては、いつまでもさ迷っていられない。かといって、絶対にこれ1本で行く・・・とむやみに決めたくない。もう1年ぐらいは色々な対象を描いて練習をしながら、「よし、俺はこれなんだ!」と自然に発見できるのが一番いい。セザンヌなら⇒静物画&故郷の山、向井潤吉なら⇒日本の古き民家、モネなら⇒光と風と空気を一瞬で捉える(睡蓮は結果の題材)、ゴーギャンなら⇒タヒチの女たち、ミレーなら⇒農民・農業、黒田なら⇒女性の人物画・・・・というように。
 過去1年の絵画教室で、油絵の描き方と肖像画を描くコツを学んだ。これからの1年は、どんどん作品展に応募しながらも、様々な訓練をしながら自分の道を見極めていきたい。モネの模写をすることで、筆使いが身に付いた。今年は新たに水彩画の自分流を形成したいし、人物画も常日頃から訓練する。心の奥底では、向井さんのような日本の懐かしい風景を探して描きたいと考えているし、富嶽三十六景の現代版=湘南富嶽十六景とかを仕上げて、個展の目玉にするとか構想している。もう、時間が足らない。色々構想、妄想するのはいいのだが、生きているうちにできるのか?・・・という感じ。まあ、全てが実現できなくても、生きがいや夢を持って晩年の人生を送れるのは幸せだ。

 この一年で、教室の先生はじめ、絵画に関する色々な人と会った。それで感じるのは、「変人」が多いということ。ま、自分もそうかもしれないが、芸術系の人間は普通の感性ではない。例えば、絵画教室の先生は、本当に絵は上手なのだが、何か人間的に欠けている部分がある。ずっと私立高校の美術教師だったのに、教え方が上手いとは思えなかった。日本の教育の欠点そのままといえばそうだが、画一的で個性を伸ばす指導では無かった。逆に、基本を改めて学ぶ私には、意味があったが・・・。美大卒から即教師になった先生は、社会に揉まれていない印象。お蔭で無駄な会話を避け、絵画の勉強だけに専念できたし、こちらもポイントを絞って技法質問⇒指導⇒習得との流れができた。途中辞めせずに、1年間学んで良かったし、教室の展覧会で締め括れた。
 

2016年1月31日(日)
「セッション」と「フィールドオブドリーム」

この1年間で観た映画の中では、「マッドマックス・怒りのデスロード」が断トツに面白かった。従って、2015に小生が観た映画BEST1と決めていたが、最後に凄い映画を観てしまった。今のところ、総合的にマッドマックスが1位だが、この文章を書いている最中に、ハナ差1位に変更するかもしれない。
 それが「セッション」。低予算の小粒な映画。有名な俳優は出演していない。派手なセットやCG・特撮もなく、テーマは「音楽もの」。ある音楽学校が舞台で、ドラマー志望学生の若い男性が主役。助演は「鬼軍曹」のような指導者。もう、小生にとってはまるで興味のない題材。普通なら、スルーする映画。だが、昨年のアカデミー賞のダークホース的存在になり、助演男優賞、脚本賞を受賞し、もしかしたら作品賞まで掻っ攫うのでは・・・とまで言われた秀作。ブルーレイを買って、どこがそんなに凄い映画なのか、半ば疑心暗鬼で観た。

 家で、DVDやブルーレイを観ると、大体寝てしまい、再度見直したり、詰らない映画になると毎回寝てしまい、もう3回目で寝ると二度と見ないパターンもある。ところが、この「セッション」は最後まで一気に観てしまった。役者陣は地味〜な人ばかりで、殆ど無名。画面はドラムを叩くシーンばかり。顔のアップも多く、主人公と鬼軍曹はお世辞にも見るに堪える顔ではない。全体に茶色っぽい色調で、舞台で演奏するシーンもそんなライティング。物事が上手くいかないことが多く、観ている側も主人公同様、イライラしっぱなし。
 だけどテンポが速く、イライラと同時にハラハラの連続で、緊張感が半端ない。そしてどんでん返しもあるし、途中からスリラー的要素が絡まって、本当に良く出来たストーリーと映像と役者の演技だった。これ、インディペンデンス映画で、超低予算で、監督・脚本は未だ30歳前後の若手。才能に溢れ、この映画で爆発したようだ。

 先般、2015年公開の映画対象にアカデミー賞の候補が発表になった。レオナルド・ディカプリオは「暫く休業する」宣言をしたはずなのに、凄い大作に出演しており、今回で5回目の男優賞候補になっていた。まだ40過ぎと若いのに、もう5回目の候補になったことだけでも素晴らしいが、1回も受賞していないのも珍しい。オスカーが欲しくてたまらない駄々っ子のように、「もう映画界から暫く離れる」と言っておきながら、陰で過酷な撮影をしていたようだ。同情を買って今度こそ受賞したいのだろう。みなの気持が「そろそろレオにあげたら?」のようなので、今年は受賞するだろう。
 候補に、あの「マッドマックス」が
10部門もノミネートされたという驚き。狂気ギリギリのアクション映画、普通ならアカデミー会員にスルーされるジャンルの映画。年寄りの会員でさえも1票投じたくなるほど、魅力に溢れた映画だったのだろう。やはり小生の1位はマッドマックスで、紹介した「セッション」は2番目に面白かった映画としておく。

昔「フィールド・オブ・ドリーム」という映画があった。約30年経って、なんとなく観たくなって、もう一度観た。トウモロコシ農場を経営するケビン・コスナー扮する男が、神のお告げで農場を潰して野球場を作ってしまった。回りの皆は気が狂ったと噂して誰も近づかないが、妻と娘にも亡霊が見えるようになる。メジャーリーグの「ホワイトソックス」の選手たち。1900年代初期に八百長疑惑で追放になった時のメンバーが亡霊となって球場に現れ、その後も突然聞こえるお告げに従って主人公が奔走する物語。

 当時、「今年公開の中では最高傑作」と評判の映画だったが、正直自分が30歳代で殆ど感動できなかった記憶。だが、メジャーに日本人選手が行って身近となり過去の歴史を知り、且つ自分が年取って見直すと、若い時とは違う感動があった。メジャーに上がれず、1打席も打てずに夢を諦めて弁護士になった老人を訪ねる。その人は数年前に亡くなっていたが、亡霊と話をして、自宅の球場に戻る。すると、若き日のその人が球場にいて、ホワイトソックスの亡霊たちが事情を察知して守備体型につき、メジャー初打席を体験させてくれる。以前観たときは何も感じなかったが、観直したら感涙していた。
 主人公の父親との確執も重要なテーマ。言い争って喧嘩したまま別れて父親が急逝したので、心に蟠りが残ったまま。実は父親も野球大好きで、メジャーリーグを目指したことも・・・。父との和解をどんな風に描くか興味深く見ていたら、喧嘩したときの父では無く、青年時代の父親の亡霊を球場に登場させた。若き時代の父亡霊は、息子と知らずにキャッチボールしながら将来の夢を語る。なんだか、それで良かった気がする。喧嘩別れした父親の亡霊を登場させて和解してほしかったが、それでは甘ちゃん。父と息子なんて確執があって当然で、それを乗り越えて次の人生を歩めばいいと、作者は言いたいのだろう。主人公の息子が、「そうか、父親も若いころは野球選手への夢や憧れがあったのか」と初めて知り、全ての蟠りが凍解。若き父親の亡霊と会うためにも、野球場を作った意味があったのだ。

 人生を噛み締めながら、30年前とは違う涙を流して映画を観た。

映画を観ながら、自分の過去の思い出や「ルーツ」を考えていた。特にここで話すようなことではないが、やっぱり年齢なのか、表に出しておきたい、残しておきたい・・・との考えが強くなっている。若いころは「一族の中で自分だけは違う」とか、「自分だけは特別な存在だ」と信じていたが、年を取ってみると、みんな似ており、自分も同じだった・・・・ということだ。競馬で「血統」を論じ、血統から馬の性格や体力や競争能力を推理する作業をしているわけだが、やっぱり人間も同じ・・・というか、所詮生き物は遺伝子によって決められいるんだなと、つくづく痛感。
 いずれ、具体的に書く時があると思う。また、そのときに自分のルーツなどを紹介したいと考える。「ルーツ」と言えば、NHKの『ファミリー・ヒストリー』、結構好きで見ている。最近は、普通の芸能人が、普通の先祖の話になっているが、それはそれで面白い。初めて見たのが、俳優の浅野忠信のルーツ。彼にアメリカ人の血が1/4入っていることを知り驚いた。母親や祖母の波乱万丈の人生、日本人の典型のような顔と思っていたら、アメリカ軍人の祖父と重ねてみるとよく似ていたり・・・とか。何かドラマチックなルーツと生い立ちで彼が役者になって活躍し、父の出身・米国映画でもそれなりに活躍している巡り合わせとか。
 最近は、俳優自らが「ぜひ自分の祖先を調べてほしい」との持込み企画が増えたようで、例えば明治維新の立役者○○の末裔だったとか、実は名士の出だった・・・・なんて驚きの展開にならずに、普通の遡りのこともある。そりゃあそうだ、そんなに多くの歴史上の人物の子孫がいるわけない。元おバカタレントで、現カバー曲歌手のつるの剛士の回も、案外良かった。何も特別なのことのない普通の歴史だが、平凡だけど素晴らしいお父さんだったようで、あの父親だから、つるのの人柄がいいのだろうなと感じ、沢山貰い泣きした。そんな内容もいい。

下記文章は、「競馬予想」頁で記載したものを、そのままコピーして残す。果たして、半年後、1年後に彼らはどうなっているか、検証するために。
どうせ芸能人の恋愛会見や文書報告なんて、みんな嘘ばかりだろう!! 結婚目前なのに、お会いしたことも無い・・・とか。なんで、ベッキーだけ袋叩きにされるのか、意味不明。集団行動になると強い、島国根性の日本人の悪いところが出ていると思うが・・・。(以下、2016年1/29記入)

ところで、年明け早々世間を賑わせていた芸能人のスキャンダル話。もう収束しそうな様相。なんだか、面白くない。もっとドロドロになって、悪い奴がきちんと痛い目に遭えばいいと思っていたが、世の中不公平なものだ。小生も、ここで書くのは最後になるだろう。
まず、「
ゲス&ベッキー」。
ベッキーが心身ともに衰弱状態で、暫く芸能活動を休止するようだ。そのまま消えるかもしれない。謝罪会見直前のラインも週刊誌で暴露され、会見が嘘八百だったと、マスコミ、芸能仲間、ファン全員からバッシングされたことが原因だ。CMも番組も全て打ち切りとなりそうで、特にCMは違約金まで発生する可能性も・・・。確かにベッキーもゲスだったが、そこまでバッシングしなくてもいいだろうと、同情心。
 では、相手の浮気+二股の真のゲス野郎はどうなのかといえば、全然攻撃される声が聞こえてこない。おいおい、それはないだろう! こいつこそ恋愛初心者のベッキーを誑かせて、恋に狂わせた張本人だろうが! こんな奴を許してはならない。こいつの出来心、浮気性の性癖が諸悪の根源。ファン⇒恋人⇒不倫でした⇒離婚してくれ⇒妻の反撃⇒でも2枚目CDは売れている・・・・・そんな流れの張本人はゲス男。こいつもベッキーと平等に酷い目に遭い、バッシングされるべきだ。こんなゲス男が、ほとぼり覚めたら妻と元の鞘に納まることは許されない。二股であろうがなんであろうが、男が付き合ったのなら、尻尾撒いて逃げずに、最後まで責任を取れ! と言いたい。
 ベッキーよ、目が覚めたら、下衆野郎を攻撃してやれ。つくづく質の悪い浮気男に引っ掛かったものだ。違約金の半額を請求するとか、あるいは離婚を迫り切って再婚し、自分は悪女系のタレントとして蘇るとか・・・。まあ、しかしベッキーは真面目そうだから、暫くは「うつ病」のようになって苦しみの日々を送るのだろう。とにかく、一人負けのように炎上することは可哀そうだ。ここまで明るみになったら、開き直ればいい。相手だけ逃げて助かるようなことは、絶対に許すな!

次に「
HIRO 木村」の事件。
どうやら、スマップの独立騒動の悪人は木村のようだ。やはりゲス野郎は木村だと思っていた。ファンの心理もズバリ核心を突いており、今回の騒動で誰が原因か?との質問で、1位がメリーかジュリーか知らないが事務所側、2位が木村となっていた。その2つの票が圧倒的で、3位以下は票が割れて、独立の中居などは下のほうだった。つまり、スマップが独立するのは当初5人の総意で、一時はそれでマネージャーと一致していた。ところが、木村だけが反旗を翻してここまでの騒動になり、あの生謝罪で自分が逆に会社との仲介的な善人として振舞い、センターに居座っていた。流石にファンは木村に嫌悪感を抱いた・・・・との顛末。CMで木村が出ていると、虫唾が走る。

最後に全てをスクープした「
センテンス・スプリング」。
調子に乗っていると梯子をはずされた中居のようになるぞ。この週刊誌は絶好調のようなので、今に悪い事件を起こせばいいと思う。数年前の週刊新潮のように、やらせ的な記事を掲載し、その謝罪が謝罪になっておらず、徹底的にバッシングされるようなことが・・・。いい気になっていると、必ず勇み足でボロを出すはずだ。


2015年10月15日(木)
リーダーシップとは、その資質とは?
      

ラグビーのWCが行われ、初めて日本チームが全国的に話題になった。TV視聴率は深夜にもかかわらずサッカーWC地区予選並みの高い数値。日本人に限らず、国際試合になると俄然注目度が高まり、にわかファンが急増するもの。小生もその一人。ラグビーは、若いころに新日鉄釜石が強かった時期にTVで試合を見ていたが、その後はさっぱり。今回も、南アに勝った後に見るようになった。2戦目のスコットランド戦が全くダメで、がっかり。半信半疑で見たサモア戦が圧勝で、南ア戦の勝利はフロックではなかったことが証明された。最終戦の米国に勝って3勝をあけだにもかかわらず予選リーグ敗退は、史上初めてのことらしい。

 前後して、NHKの番組で、「
エディー監督の挑戦」という特集があった。今年の1月に放送されたものの再放送。当時は殆ど注目されなかったろうが、今回は丁度いいタイミングで放送された。日本チームのラグビーを飛躍的に強化したエディー・ジョーンズさんとはどんな人物か、彼の生い立ちと日本との関わり、そして今回のいハードルを越えようとする挑戦・・・・それらを簡潔に紹介していた。
 ジョーンズ氏は、なんとなく懐かしい顔をしているなと思っていたら、母親が日系米国人、父親が豪州人の所謂ハーフだった。豪州生まれで、若い時からラグビー選手で、30代半ばからコーチの仕事に。当時の写真を見たら、長髪で掘りの深い顔立ちで、ガッチリして、格好良い雰囲気。当時は、白人にしか見えない。年を取って母方が出たのか、日本人にも郷愁を与える顔立ちに変化したようだ。だが、殆ど日本語は喋らないし、仕事では「鬼コーチ」で有名らしい。だけど、彼の日本での仕事っぷりを見て、ちょっと感動した。

 まず、片言の日本語で直接選手にガンガン指導し、檄を飛ばしている。細かい説明になると通訳がそばにいて補足説明するが、基本は本人が直接指導。文法は英語でも、主要な単語が日本語なら通じる。プラス、ラグビーの専門用語は共通語だから、コミュニケーションに不自由は無い。グラウンドで、エディー監督が厳しく叱り飛ばす。彼の熱い気持ち(後述に背景を紹介)が、日本を強くしたいと伝わる。練習で心身ともに痛めつけた選手たちも、泥だらけ汗まみれでクタクタになって夜遅くにやっと終了。終わったら、エディーは人懐っこい顔になって、選手を労い励まし、肩を抱いて優しい言葉を掛ける。それを見てハッとした。
 「リーダーって、こんな人のことをいうのかな」・・・・と。
そして
 「自分には全然リーダーの資質は無かったな」・・・・とも。

もちろん運動系のリーダーと会社組織におけるリーダーは違うかもしれない。ただ、基本は同じではないか。組織やチームの人間たちが、一つの目標に向かって、一人一人が役割を担って実行していく。それを、監督やキャプテン、上司や中間リーダーがどうリードし、目的を共有し、フォローし、問題が発生すれば解決して、最終的に目標達成するか。
 最近年を取って涙脆くなったのか、厳しい指導の後、鬼コーチのエディーが優しい笑顔に戻って選手の肩を抱いたシーンを見て、不覚にも涙がこぼれた。若いころの自分にも、こんな上司がいたかな?・・・って。エディー監督は、まさに日本ラグビー選手が求めていた理想の父親のような・・・・って、おいおい、自分は彼よりも5つ6つ年上だろうが。(※実際には、練習があまりにも厳し過ぎて、予定通りエディーは退任してほしいと思っている選手は少ないくないとの噂も)
 あるいは、自分がサラリーマン時代にリーダとして上司としてどうだったのかを思い出しながら見ていた。きっと部下にとっては最低だったのではないか、と。少なくとも厳しく指導したり叱咤はしたが、果たしてその後に部下の肩を抱いて、照れることなく励ましたり、褒めたり、フォローできだろうか・・・・と思い出すと、全然ダメだったと考える。

 少し自分のことを話すと、サラリーマンの若手時代は、遅刻王、一匹狼、職人肌の人間だった。およそ、マネジメントとかリーダーとか適性が皆無のタイプ。ところが、中途で入ってきた上司が特異なキャラクターの人間で、最初は徹底的に反抗していたが、巧く煽てられ乗せられ、利用された。いわば洗脳され(いい意味で)、自分は仕事ができるとか、リーダーの資質があるとか、勘違いさせられた。それでも、その上司とは距離を置いて対応してきたが、人事的策略に嵌められた。経験の無い知らない仕事、部下が50人ぐらいの大所帯を任された。職人肌を捨てざるを得ない。自分のことだけで勝負できなくなる。部下のミスを中間管理職(小生)を飛び越えて叱る上司の姿を見ると、それに嫌悪感を覚えながら、チームのリーダーとして頭を下げざるを得ない。エキセントリックな上司との勝負や喧嘩を止め、逆にスムーズな関係を形成するような詰らない人間に変化したようだ。
 例えば、時間にルーズで、適当に曖昧に仕事をする側面もあったのに、自分にも他人にも時間に厳しい嫌な人間(?)に変わってしまった。勿論、マネジメント手法やリーダーシップは特異上司のやり方しか受け継がず、今振り返ると正しい手法は何も無かった気がする。当時の部下には申し訳なかった思いだ。

 プロ野球なら西武の東尾とか、サッカーならラモスとか。選手として職人肌の一匹オオカミで、およそ監督には似つかわしくない人間がリーダーになって・・・やっぱり成功しない。そんなことをツラツラ考えながら、ラグビーの試合を観ていた。もう一つ、ラグビーの試合の前に、なんで選手たちは泣いているのか、若いころは理解できなかった。でも年取った今なら解る。自分が試合をを観ながら、なぜか涙が出ているのだから・・・。

 エディー監督の日本との関わり⇒母のルーツである日本で、若いころに指導者として学んでいたらしい。その後、母国に帰って大きな実績をあげたにもかかわらず、監督したチームが急激に成績を落とすと、大変なバッシングを受けたそうだ。その傷心を癒すために再度日本に立ち寄ったら、以前の仲間や選手が温かく迎えてくれ、「いつか必ず日本に恩返ししたい」と考えていたそうだ。

TVでトヨタの社長がマツコと絡んでいた。リーダーという意味では、日本一の大会社トヨタの現社長も、興味深い人だ。マツコ・デラックスはまさに「色物」なのに、頭の良さと天才的な切り替えしで、TVで見ない日はないほどの人気者になってしまった。ゲイに生まれた人間の苦悩をチラリと垣間見せながら、基本は女装家毒舌家(?)に成りきっている。「弱者」の立場からズバズバ「強者」や「権力者」を切り捨てるから、とりわけ女性に人気が高い。
 この日は特番で、愛知県豊田市のトヨタ自動車の工場を見学。そこに、まるで旧知の仲のような雰囲気で豊田社長が現れ、マツコを愛車に乗せて運転したり、工場の案内をしていた。意外に番組内容は素晴らしく、世界に胸を張れる日本特有の「モノ作り」の素晴らしさを見せてくれた。そして、トヨタという企業の奥深さも見ることができた。有名な「看板方式」も、勿論健在。いくら機械化・ロボット化が進んでも、人の重要性を教えてくれていた。

 10年近く前のリーマンショック⇒世界不況⇒円高・・・・という悪い回路で、流石のトヨタも冬の時代があった。しかし、びくともしない基盤の強さと企業努力で危機を乗り切った。また、米国で死亡事故が多発して、確かアクセル操作の問題が取り沙汰されて、訴訟問題が巻き起こった。日本企業は、過去にも100億円前後の賠償金を払わされたことがあった。日本人はすぐ謝る癖というか風潮があるが、米国では自分が悪いと思っても絶対に謝ってはダメと釘を刺されていた。社長に就任して左程年数が経っていなかったと思うが、豊田社長はちょっと頼りなさそうなイメージで、しかも、「すわっ、おいおい全面的に謝罪しているぞ!」と皆が驚いた。
 全面的に謝罪したことで米国人も驚いた。結果的に自動車の問題ではなく、どれも死亡事故を起こした各個人の過失であることが判明し、問題解決に至った(その後の賠償金云々は知らない)。トヨタはずっと創業者の同族経営。歴代社長は、息子や弟や甥が繋いできて、現社長は創業者の何代孫か知らないが、直系の人間だ。同族で長く経営すると、企業はダメになっていくのが定説。だが、トヨタだけは、ずっと同族で守り続け、外資系的な実力主義が蔓延してダメになっていく企業たちを尻目に、日本的な「終身雇用」を続けているはずだ。秘密は何なんだろう? 同じ愛知県出身の徳川家康一族と通じる「秘訣」があるのかもしれない。

 現豊田社長、なんだか飄々として、全然威張っていない。実際には中では厳しい社長かもしれないが、外には親しみやすく見える。運転が好きで、若いころはレーサーを目指してしたとのこと。経営者だが、車好きで職人肌も残しているから、工場への関心も高いのだろう。
 同族経営で、何代か続くと、受け継いだ社長は前の代とか創業者と差別化したくなる。それで奇をてらって失敗するパターンが多いが、トヨタには全くそれを感じない。ヘンに頭のいい人だったり、気の小さい人物だと、直接的に各部署のリーダーに指示を出し、組織を壊してしまう危険性がある。切れる奴ほど、会社をダメにするようだ。
 豊田さんは、切れないけど、度胸があって人間として器が大きいのだろう。なにしろ前述のように、米国で謝ってはいけないと言われても、自分の価値観を通して全面謝罪して、逆に米国人を驚かせたぐらいだから・・・。見た目も含めて、キワモノのマツコに対しても、差別せず普通に対応していた。

2015年9月25日(金)
「やっちゃえ!」体質VSネット秘密警察








エンブレム問題は、委員会が取り下げたことによって一応の収束を見た。勿論、誰も責任を取らないとか、鮫の脳みそ=森は他人事のように居座り、完全に癌細胞化しているとか、問題の本質は何も変わっていないが、ここでは「パクリ佐野」だけ言及する。

 やはり
佐野はパクリの常習犯だった。既にサントリーのトートバッグで、完全なる盗み=トレースを認め、「部下がやりました」と白状。おいおい、泥棒の親分・佐野さん、組織ぐるみの犯罪は、だいたい部下や下っ端が実行犯。それと、おんなじ構造だってことだ。そして、このエンブレムで、出るは出るは、犯罪の手口が次々に『ネット秘密警察』によって明かされた。
 委員会は良かれと思って、修正のプロセスを公表。大体、公募当選者と内密にデザイン修正することが、新たな疑惑を生むのだが、それは横に置いといて・・・。当初は「T字」に近いデザインだったようだが、これが95%のパクリであることが判明。著名なデザイナーの展覧会のポスターロゴ(代表作品かも)とほぼ一緒だった。しかも、このとき本人がツイッターで「これはヤバイ(素晴らしいの意味)。ぜひ皆行くべし」と褒めたツイート。つまり本人が見たとの証拠がネットに残っているおぞましさ。呆れた奴。

 そして決定打が、エンブレムの展開例図。よりによって、一般人のブログの写真をそのままコピーして、実際の看板のような所をロゴに差し替えて、まるで自分で考えたかのような盗み業。もちろん許可なし。だって、盗っ人だもん。ブログの制作者は外国人で、日本の羽田空港を自分で撮影。年商数十億円(?正確には知らない)のプロのはずが、素人の写真を勝手に転用・盗用してしらばっくれているとは、世も末である。写真と展開図を重ね合わせると、小さい人物までピッタリ合致し、流石に委員会も「ここまで酷いとは・・・」と諦めたようだ。ネット秘密警察は⇒「どうだ、これが動かぬ証拠だ!」と勝利宣言。

佐野は、多摩美卒博報堂に就職し、その後独立している。穿った見方だが、それぞれの体質ではないか・・・との疑念。そう感じたのは、今私が通っている絵画教室の先生が、「商業デザインはどうしても似てしまう。デザインにはパターンがあるから」「あまり彼を責めるのはかわいそう」と擁護発言をしたことからだ。前述の展開図のパクリが出てからは流石に責めていたが、小生が感じたのは「もしや、業界にそんな体質があるのでは?」ということだ。美術界、デザイン界は同じ穴のムジナではなかろうか・・・との疑惑。

 例えば美術大学。まさかと思うが、「商業デザインは模倣から始まる」なんてことを教えていないだろうな? あるいは博報堂の企業体質。「ネットから素材をドンドン取れ」とか、制作部の上司が「デザインなんて、ちょっとしたアレンジでいいんだ」「トレースをやっちゃっていいぞ!」と部下指導していないだろうかとの疑念。

 要するに「やっちゃえ」体質だ。

 一つかなりの確率で実行されたのは、佐野が経営するデザイン会社の中。実際、サントリーのトートバックでは半分ぐらいがトレースや一部差し替えのパクリばかり。本人も日常的にパクっていたわけだから、「今回は部下がやりました」と組織ぐるみの犯行であることは明白。きっと社内でのスローガンは、
「やっちゃえ、やっちゃえ」
「いいデザインはネットから盗んじゃえ」
だったのではないか? 矢沢CMの「やっちゃえ、日産!」ではなく・・・。

それにしても「鬼女」と呼ばれるネットの番人。まるでネット警察の証拠集めか? 「なんて暇人だ」と批判の声もあるが、女性が多く中心層が主婦ということで、鬼のように調べる女=鬼女と呼ばれるらしい。TVのワイドショーでやっていた。佐野の空港写真展開図などは、ほんの3,4時間で捜索したとの噂も。まず、佐野デザイン作品を画像検索すれば、いくらでも出てくる。その作品を踏まえて、キーワード検索で画像を出せば、小生でも発見できそうな気がする。エンブレムの取り下げを聞いて「鬼女」たちは祝杯をあげたそうだ。どうやって?

 ところで、Yahooニュースの下記コメント欄を、最近よく読んでいる。一連の五輪問題(新国立競技場、パクリ問題)が連日ニュースを賑わし、怒りが込み上げて、言いたいことが沢山溜まってくる。そんなとき、みんなのコメントを読むと、「溜飲を下げる」というか、そうそう、巧いこと言ってくれたと、頷いて、怒りも治まることが多い。ネット住民なのか、普通の人がたまたまなのか、実に上手な表現力。たった1行か2行の短文で、ズバリ斬ってくれる。
 代わりに批判してくれたと同時に、あまりにも上手に斬ってくれることへの感心が相俟って、コメントを読むだけでスッキリするのかもしれない。

安保法案を強行採決したアベ内閣。史上最悪の内閣とも言われているが、最悪は鳩山であり、菅であったと確信する。アベは史上2位か3位の酷さ。「集団的自衛権の行使」は賛否の別れるところだが、今回の大問題であり愚行は憲法違反であることを無視して、政府だけが勝手に憲法解釈を捻じ曲げて「合法」として、且つ強行採決したところにある。
 安倍は内閣を一度失敗しても、一族の汚名を晴らし、成し得なかった使命を果たす役割があった。父は目標直前で総理になれなかった。母父の祖父はA級戦犯にもかかわらず、死刑を免れた人物。一族の使命は、日本に軍隊を復活させて、歴史に名を残すこと。幼少期から、岸祖父の膝の上で、念仏のように聞かされて育ってきたのだろう。それにしては、2回目の総理にもかかわらず、器が伴っておらず、説明も説得も苦手だから、強引に違憲法案を作ってしまった。
 日本人のDNAが「こいつ、どうもキナ臭いぞ、ヘンだぞ」と感じたから、その風土が消滅したと思われた「デモ」を、老若男女が自然発生的にやっているのだ。

 他国が攻めてきた時とか、米軍の支援をしていいのかとか、野党との無意味な会話を国会でしていたが、アベさん、ちょっと待ってくれ。今日本とって大事なことは、他国の軍隊ではなく、自然の猛威ではないのか?

日本に対する最大の脅威は、自然災害ではないのか? 本気でそう思えるほど、近年の災害は物凄い。もちろん世界的に温暖化の影響も含めて従来にない災害が起きている。だが、今の日本はどうだ?
*4年前の東日本大震災
*余震や別のプレートによる地震の頻発⇒震度4前後が日常的
*火山の噴火、爆発⇒噴火エリアの拡大と規模の増大
*ゲリラ豪雨・集中豪雨による河川の氾濫⇒水没災害
*それでも原子力発電を再開し、福島原発以上の人災を起こす予感

 どうだろう? 他国から見たら、まるで日本だけが呪われているかのような自然災害の頻発と拡大・増大。換言すれば、自然の神が
「お前ら日本人は、この地球に存在するな!」
と言わんばかりの恐ろしさ。常に生死の恐怖を背中に感じながら生活しなければならない試練。日本人の祖先は、どれほど地球に対して悪いことをしてきたのだろう? 自然界から恐ろしい仕打ちを受け続ける理由は何なのか・・・と疑心暗鬼になる。

 今、日本が安全保障を考える対象は、他の国や軍事ではなく、相手は自然一本。自然の猛威・脅威から日本国民を守ることが、最大の安全保障ではなかろうか? 軍隊や武器ではなく、堤防や地盤対策や、避難ルートやルール。災害の省庁を作ってもいいほどで、その組織作りと人材教育が急務である。戦争なんて、放棄した国として守り通してもいい。自衛隊は災害対策に教育と設備投資をシフト化してもいい。

 アベちゃん、憲法と政府の役割と使命は、「
国民の生命を守ること」だよ。そのために税金を使え、その対応が迅速にできるような組織作りと法整備が、今の日本は急務ではないか。日本はそれでいい。歴史的にも戦争なんてしなくていい国民(民族)なんだ。地球はそれを日本に教えるために、色々怒って騒いでいるのだ。

2015年8月14日(金)
盗用・パクリ&「怒りのデス・ロード
      

東京五輪2020の公式エンブレムで、パクリ疑惑が発生した。制作者は会見で「全然似ていない」と胸を張ったが、いやいや待ってくれ。誰が見てもソックリだ。ほぼ同じと言っても過言ではない。ベルギーのデザイナーが「盗用疑惑」で訴えるとの話・・・、日本人デザイナーの会見を聞いたら、一層許せない気持ちになるだろう。どんどんやってくれ、法的に戦えばいい。国内でも、ネットで過去のデザインや商品に対して「これもパクリ疑惑だ!」との大合唱、大炎上。このデザイナー、日本人にも相当嫌われているようだ。

 鮫の脳みそ=森喜朗はじめ、東京五輪の関係者はクソ野郎ばかり。・・・・しかし先般の森の馬鹿会見は何なんだ?⇒「自分は悪くない、自分は関係ない」ということを記者倶楽部で弁明するなんて。元総理なのに…、75を超えた老人なのに…。まるで小学生がホームルームで「スカートめくりしてません」と弁明するようなもの。あんたは、どれだけ小心者で卑怯な人間なんだ? 「どうせ真央は転ぶぞ」発言の時と同様に、孫に叱られているはずだ・・・・・
 まあ、そんなことはどうでもいい。話を戻すと、これだけデザインやロゴが氾濫すれば、どうしても似てしまうとの意見もあるが、それを防ぐために商標登録があり、審査員側は全世界の登録や代表的なロゴをチェックするネットワークが要求されるのだ。五輪エンブレムの審査&決定組織、新国立競技場組織同様、どうせまともなルールも常識も無いロクでもない組織なのだろう。

 元政治家+官僚の天下りの奴らとゼネコンとのただならぬ関係、その頂点に森が君臨している構造は、容易に想像できる。グスグスのズブズブの関係だろう。一方、東京都管轄の施設建設も、恐ろしいほど予算が膨れ上がっているらしい。昔の都知事:石原が「コンパクトな五輪」と標榜してたことが懐かしい・・・というか、誘致を勝ち取るためには何を言ってもいいのか?!…との怒り。どうせ、エンブレムを審査決定する組織も、適当な仕事しかしていないのだろう。

「パクリ」といえば、最近凄いのを発見してしまった。映画「マッドマックス」と漫画「北斗の拳」の関係である。これは既に公認のことのようで、別に侵害云々ではないらしい。日本の北斗の拳が影響を受けた側。まず小生は「北斗の拳」を知らないので、その件を全く認識していなかった。ただ、漫画やアニメは見ていないが、パチスロになったときに少しやったことがあるので、キャラクターたちの顔や扮装、荒涼とした背景の絵などは知っていた。
 なぜ気づいたか? 実は新作「マッドマックス:怒りのデス・ロード」封切に合わせてTVで1〜3作目までTV放送していた。小生は若いころ全て映画を見たが、再度2作目だけ見たかったので、録画して見た。すると、北斗の拳そっくりのキャラクターが多数出てくるではないか。金髪長髪でヘアバンドしてるキャラは、そのまんま! 映画は女性で、北斗は確か男だったと思う。おいおい、映画を見てそのままスケッチしたのではと思えるほど。そんな目で見ると、ケンシロウは主役のマッドマックスそのものだし(革ジャンも)、モヒカン刈りの悪人たちは北斗の悪役や雑魚たち。酷い、ここまでパクルとは。これは「インスパイアー」レベルの話ではない。漫画家が北斗の拳を構想するときに、全キャラクターと時代背景と本当の背景等、映画を見ながらデッサンし原作を考え、作画したとしか思えない。「核戦争によって世界が砂漠化して・・・」云々は、正にマッドマックスのもの。マッドの監督や制作側は、よくこんなパクリを許したと感心する。
 そして、北斗の拳の原作者+作画者には幻滅である!

 知る人ぞ知る有名なパクリ話⇒ゲームの「スーパーマリオ」も実は物まねに他ならない! マリオの姿、その名前、両方ともパクリなのだ。これは暗黙の了解で、皆で黙っておこう・・・と口裏合わせ(?)。小生は偶然気が付いてしまった。フランスの名作「恐怖の報酬」のビデオ・パッケージを見て、あれっと感じた。この映画はもう60年以上前の白黒映画で、数多くの映画賞を獲ったサスペンスもの。2台のトラックで、ニトログリセリンを運搬する物語。主役はイブ・モンタンで、名前が
マリオ。もう一台ののトラックにズングリ肥満体型の男がルイージで、小柄でちょび髭でハンチング帽子姿。これでは感付かない。ところがVTRのジャケット裏側に、背の高いマリオ役=モンタンと小柄なルイージ役の写真が写っていた。ずんぐり男のハンチング姿・・・・誰かに似ているな、と思った時ハッと気づいた。こっちがマリオだろう・・・と。つまりゲームの原作者は、この映画を見てキャラクターを作ったのだ。完全なるパクリだ! ばれないように名前を入れ替えて兄弟名にする姑息さ。ビックリ、がっかり、ゲーム制作者もまさかマリオがここまで有名になるとは思っていなかったのか?

黒沢映画だけは逆にパクられているものが多数。最も有名なのは「用心棒」がマカロニウエスタンの「荒野の用心棒」に。各シーンの細部が同じで、てっきりイタリアの制作者や監督が黒沢から権利を買ってリメイクしたと思ったら、何も事前に話はなく、勝手にパクられたとのこと。大らかな時代、大らかな人。実は黒沢映画は、この時期、世界の映画賞を受賞しまくっていたキラ星黄金期。アカデミー外国語賞はじめ、ベネチアやベルリンの映画祭で金賞、銀賞を獲っていた時代(羅生門、生きる、七人の侍ほか)。この「用心棒」も、イタリアのベネチア映画祭でグランプリを受賞している。ところが「荒野の・・・」を監督したのもイタリア人。その人が数年前の自国の世界映画祭でグランプリの日本映画を完全にパクっておいて、「そんな日本映画は見たことが無い」としらばっくれたそうだ。日本人を馬鹿にしているというか、驚くほどの身勝手人間というか、イタリアを超先進国で日本を文明の低い後進国と思っていたのだろうか。主演のクリント・イーストウッドだけは正直に「申し訳ない」と発言しており、それ以降なかなか日本に映画宣伝にも来たがらなかった。やっと約10年前に来て、「硫黄島からの手紙」などを作った。別に「お詫び」とかではないだろうが、日本軍=悪の設定ではなく、珍しく日本人側の視点から作った戦争映画だった。

 スターウォーズも、黒沢映画「隠し砦の三悪人」からのパクリ。ただ、これは公開後すぐに「尊敬している」「影響を受けた」と正直にルーカス監督が公言したし、まだ30歳前後の若手監督だったので、黒沢も快く「どんどん使ってくれ」と逆に喜んだそうだ。ロボットの2台のコンビは千秋実と藤原鎌足がモデル。三船敏郎が甲冑姿で戦うシーンがあるが、ダースベーダ―そのもの。実は三船にダースベーダ―役の出演依頼があったとの逸話。勝気な姫を救って悪と戦うと「スターウォーズ」のストーリーは、完全に隠し砦が下敷き。他にも、オビワン(帯一)ケノービーや、あの愛すべきヨーダは依田さんから取ったなど、全面的に日本の黒沢をベースにしているので、逆にわれわれ日本人も嬉しい・・・・かも。

 「ジャングル大帝」を「ライオンキング」にパクられた手塚治虫がインタビューに答えた逸話⇒『確かに似ているかもしれない。だが、私は数多くのディズニー映画やアニメに影響を受けて作品を作った。そのお返しができたと逆に嬉しい』と。黒沢さんや手塚さんが言うと、今時の表現なら「神対応」となるのか。如何にも日本人らしいし、それがあったから、その後はキチンとリメーク使用権利の契約を締結するようになった。
 さて、前述のマッドマックス、そんな話題もあって、普段映画館に行かない小生が新作の「
マッドマックス・怒りのデス・ロード」を観に行ってきた。

1−3作目から約25年、遂に4作目が公開。全て同じ監督が作り切ったのは稀有なこと。途中、ロケ地の豪州で大雨に遭遇し、荒廃とした砂漠が森林・お花畑になってロケ中止せざるを得なかったこともあり、構想から完成まで10年の歳月をかけたそうだ。そのこともあって監督は御年70歳に。だが、30代半ばに作った1作目以上に若くエネルギッシュで、ロック魂丸出しの超快作だった。
 マックス役は、もう老人になったメル・ギブソンではなく、若手の有望俳優になり、今回は女性たちが主役級で大活躍する等、色々な変化はあるが、基本設定は同じ。世界が核戦争によって破滅的な荒廃な土地となり、ガソリンと水を求めて争っていく近未来SF映画。カーアクションに次ぐカーアクションで破壊しまくって、小難しい哲学やコンセプトは無し! というか、哲学は「これぞ映画でしか表現できないアクションを撮り切る」ということか。

 大型トラックの前面でエレキ・ギターを弾き続ける長髪の男、集団で太鼓を叩く男たちが荷台に乗っている車、監督得意技のカークラッシュは目玉の飛び出た人間のアップと車の破壊シーンをフラッシュで見せるパターンは健在。極力CGを使わない実物のスタントで、今回も陰で何人か死人が出たのではないかと噂される、すざましい撮影。この監督の哲学を加えると、「人生はロックだ!」ということだろう。そして前述の日本漫画「北斗の拳」にパクられたこと・・・、全然意に介していないようだ。こっちも大らかというか、太っ腹というか。しかも、噂によれば、北斗のキャラを逆輸入して、この新作映画に使っているとの話も。
日本人として、サンキュー!です。

 冒頭から最後までノンストップのカーアクション。映画館で居眠りする暇がない。やってやって、やりまくる。ちょっと狂ってる?・・・と思わせる狂気とギリギリの境界線。少なくとも、過去20年で観た映画の中で、ここまでやり切った映画は無かったと記憶する。

 
そこまで、ぶっ飛んでいて、無条件に面白かった。

2015年7月30日(木)
「野菜ビジネス」を考え、そして人生を考える
    

農業を辞めて3カ月。3年間頑張ってきたが、関節炎の痛みが酷くなったことが原因で、継続を断念した。「人生で未体験のことを、元気なうちにやっておきたい」との理由と、TV番組の「鉄腕ダッシュ」の影響で、神奈川県三浦市の畑を借りて、楽しみながら3年間農作業をやってみた。折角3年も続けてきた農業。基本的な手法は全て理解した。不親切な管理人のお蔭(?)で、自分で調べざるを得ず、それが逆効果で驚くほどノウハウが身についてしまった。続けたい意欲と体の痛みとの葛藤で悩んだが、痛みには勝てず畑の契約を終了する判断をした。
 
 趣味と健康のために行ったのが主な目的だったが、転んでもタダでは起きないのが「大橋流」。作業をやりながら、ビジネス・チャンスの芽も模索していた。最も興味があったのは、三浦の隣の「鎌倉野菜」。もちろん三浦もブランド野菜で、大根、キャベツ、スイカは全国的に有名。土地が肥えており、雨が少なく、海風が栄養になる(功罪はあるが)。ただ、ここだけの話、大量生産で農薬を撒いて後はほったらかし農法。前述の「管理人が不親切」な一因がここにある。要するに、きめ細かい無農薬の農法を知らないのだ。加えてぶっきら棒な方言(もの言い)で、悪気は無いのだろうが、尚更印象が悪い。ビジネス的には、三浦=大量生産型が定番。
 一方の鎌倉は、地域の好イメージもあるのだが、「鎌倉野菜」がブランド品のような扱われ方。基本的に三浦と土壌や環境は殆ど同じ。一体何が違うのか、色々調べたり分析をしてみた。そして小生の考察の結果――

1.始まりは鎌倉の洋風レストラン⇒鎌倉市場で野菜を買付⇒美味と評判に
2.東京の洋食レストランも鎌倉市場で買付⇒地元の農家と知り合う
3.料理人が農家に、珍しい欧州野菜の栽培を依頼⇒鎌倉が欧州野菜の宝庫
  (実は種はネットで購入もある)

――要するに、需要と供給の関係。鎌倉の農家が高級レストランの「契約農業」のような関係になったことが、現在のブランドを作ったと言える。鎌倉市場では、個人客向けに「鎌倉野菜セット」を販売し、そのまま簡単調理でおしゃれな野菜を食べられると評判に。まさに「業務用」+「個人販売」⇒鎌倉野菜=おしゃれで健康志向のブランドとして確立されたのだ。

それを知って、自分でも珍しい野菜を栽培してみようと思い付き、初年度から「ロマネスク」を手始めに栽培し、「コールラビ」とか「ゴルゴ」とか、ヨーロッパ野菜を作ってみた。種をインターネットで購入し、自分でポット苗から栽培して畑に植え付ける。難易度が高いと言われていたが、全て上手く育った。小生の前向きな気持ちと土壌の良さが功を奏したのであろう。

 今や鎌倉野菜の代名詞になっている欧州の珍しい野菜。三浦でも栽培できることが解った。じゃあ、ビジネスになるのか? 普通の方法で市場に出しても、金額は大したことは無い。「道の駅」で販売しても、スズメの涙。やっぱり、ある程度の量を生産しないと利益は出ない。そして本当のビジネスにするには、鎌倉同様に「契約農家」「委託生産」するしかない――との結論。
 そんな人脈は無いし、自分で農作業できないなら人を雇ってもいいのだが、そこまでやるつもりはないし・・・・すると、どうだ、先日TVのニュースで「契約農家」の話題を取り上げていた。埼玉県や千葉県の農家で、生き残りを懸けた新たな取り組みとして紹介されていた。まさに、前述の話の通り。欧州野菜を委託されて栽培し、レストランはその新鮮な野菜を調理してお客に提供。例えば「ズッキーニ」。花がついた状態で仕入れ、その壺のような花の中に肉を詰める。その料理一皿が3000円ぐらいだったと記憶している。日本人は、イタリアやフランス料理に弱いからな・・・。

鉄腕ダッシュ」という日曜日の夜にやっているTV番組。驚くほどの高視聴率のようだ。日テレの日曜日夜は超ドル箱で、「笑点」⇒「鉄腕D」⇒「イッテQ」⇒「法律相談」と、この4,5時間で全TV局の週間視聴率ベスト10の半分近くを占めている。「鉄腕」だけは10年以上前から欠かさず見ている(録画している)。ロケ地の「ダッシュ村」が福島原発の近くにあり、強制避難せざるをえなかったことで色々な苦労もあったが、逆にそのプロセス紹介で一層の好感度が高まったようで、特に中高年に絶大な人気を誇る番組だ。

 ジャニーズ系では特異な存在のTOKIOの面々。土にまみれて農業をやる姿に共感を呼び、小生も嵌っていき、遂には自分が農業を始めたのもこの番組の影響。以前、病気になった時に、騒がしいバラエティー番組を全く見る気がしなかったが、この「鉄腕D」だけは心が救われる思いで見た。自然に対して温かい、人に対して尊敬心を持って接している、ゼロから作り上げることの大変さと達成した時の充実感・・・・等々、挙げるとキリがないが、よく解らないけど見終わったら幸せな気分になれるから不思議だ。時には、知らぬ間に涙がす〜っと流れていることもある。
 日本全国の農家や漁民がどのように生きているか、日本の伝統や食文化や風習はどのように変化しているか・・・・・等、肩の力を抜いて見せてくれる。高齢化社会の日本=こんなに楽しく生きているぞ、と。

ところで、数年ぶりに人間ドックで検査を受けた。個別に様々な検査をしているので、人間ドックは不要・・・・と決めつけていた。だが、半年前から胃かキリキリ痛むような精神的に辛く嫌な思いが続いたので、そろそろ胃が危ないのでは、との悪い予感があった。正直、検査から逃げたい。悪い病気を抱えても、知らん顔して気楽に生きていたい。死ぬ直前まで元気で、「ぴんぴんコロリ」で逝きたい、と願っている。だが、最近目立つ、「発見された時には手遅れで・・・」のパターンも辛い。
 もちろん既に色々な病気になったし、ここは逃げないで、
「よ〜し、悪い所があるはずだから、自ら進んで早期発見してもらう!」
「死ぬ直前まで元気でいるためにも、今、まな板の鯉になることがベスト」
と自分に言い聞かせ、検査を受けた。

 結果的には、たいした問題は発見されなかった。特に心配だった「胃カメラ」は前回よりも悪いコメントが減っていた。人間の体って、不思議なものだ。明らかに胃痛の頻度が多かったのに・・・。あるいは、無意識のうちに胃痛が酷い時は酒を控えたり注意をしてきたのかもしれない。いずれにせよ、もう少し生きられそうだ。元気に生きて、ピンコロが理想。そのためには、次の課題⇒肥満による血液検査結果の問題解決。昨秋に減量して、血液も良化させることの成功体験があるので、リバウンドしてデブになっている今、再チャレンジの必要性。

 実は先日、サラリーマン時代の部下だった女性が55歳で亡くなった。くも膜下出血で倒れ、そのまま1週間意識が戻らなかったそうだ。最近は会っていなかったので、今年は久しぶりに会って飲もうと思っていたところだった。血圧が低過ぎるぐらいで、目を覚ますために朝シャン(または朝シャワー)が日課だったと、後日聞いた。もしも事前に会って、くも膜下出血の兆候や血圧の急な上下が危険であることを会話していたら、救えたかもしれない。いや、そんな会話にはならなかったかもしれないし、血圧云々は脳梗塞の兆候かもしれない。人間の運命、運不運、どうにもならないものなのか・・・。
ご冥福を祈る。

2015年7月8日(水)
テレビ番組の酷さを考察


















日本のTV番組、とりわけバラエティー番組は、人相の悪い芸人が幅を利かせている。換言すれば、チンピラ風の人相だったり、言葉遣いがチンピラそのものだったり、なぜこんな輩(やから)が重宝されるのか、どの年齢層の視聴者にも好かれていないはずなのに冠番組がある不思議・・・・とにかく、今の日本のTV番組が危機的な状況にあるのは間違いない。
 制作者、つまりテレビマンそのものがダメになっているのか、あるいはフジテレビに代表されるように、旧態依然とした経営陣(者)が居座ることによる末期症状なのか・・・、以下、思いつくまま酷い部分を述べて、考察してみたい。

<私物化のとんねるず、笑えないダウンタウン>
・この2つの芸人グループが諸悪の根源であり、問題の象徴のような気がする。とんねるずは、フジTVの経営陣と「ダチ」。社長や局長クラスが、みんな昔一緒に番組を作った仲。既に終わったタレントだが、唯一フジにだけ冠番組が残っている。「みなさんの・・・」⇒これが酷さの極み。日本の学校のいじめ体質の基になっていると言っても過言ではない。若手芸人は肉体的ないじめの対象にもなっており、死と背中合わせの事故も発生。ディレクターたちが石橋の子分のような力関係。まさに大きなチンピラとその下っ端が番組を遊びながら作っている。好感度が残っている木梨も同じ穴のムジナ。
・ダウンタウンも酷い。軒並み視聴率が悪い、つまり視聴者にとっては不要な漫才師。彼らの「いじめ体質」は、とんねるとは別の意味でおぞましい。浜田はまだ見られるが、最近の松本の外見は見るに堪えない。銀髪のチンピラ風情。こんなのに情報番組をやらせるTV局の神経を疑う…⇒やっぱりフジか〜。「すべらない話」は中堅出演者たちが面白いが、唯一すべっている芸人、それがMC松本。彼の話だけ、全く面白くなく笑えない。
・その他、吉本系の芸人は、昔から芸の基本が「相手をいじめて(貶めて)笑いを取る」ことだから、どうしても不愉快なものが多い。※唯一素晴らしい番組⇒「アメ・トーク」だけはいい。雨上がり2人の人間性の良さもさることながら、これは企画が素晴らしい番組。(矛盾していないと思うが…)

<芸人以外でMCできる人材いない?>
・とにかくバラエティー番組のMCは芸人ばかり。クリーム、有吉、坂上・・・、実にワンパターン。ちょっと人気が出たら、みんな使いたがるから偏る。結果、飽きられて息が短くなる。タレント複数人で観光地にロケに出掛け、食事をしてグルメレポート。テレビマンは丸投げだから、そりゃあ企画力も育たない。
・毒を吐く人材が重宝されている。マツコはじめ「おねえタレント」が多くなったのも毒舌や存在がキワモノ。坂上忍も毒舌のみ。ただ、ヒロミまで再ブレイクと騒ぎ立てて、一度業界から干された人材を有難がって使うのはどうか? 年を重ねて円熟味が加わっているならまだしも、昔と何もかわっていないヤンキー言葉と外見。相変わらず、後輩芸人をビビらせて、「後で体育館の裏に来い」と未だに言ってそうな餓鬼っぽさ。頼むからこんなチンピラ見たくないと思っていたら、冠番組が3カ月で打ち切り決定! 当たり前だ。もう誰もヒロミを求めていない。

<結局、大御所だけが生き残る・・・>
・そんなことで、今も「たけし」「タモリ」「さんま」「所」が必要とされる。下は60歳から上は70歳。一昔前なら、立派なお爺さんたち。彼らが四半世紀の間君臨しているのは何故?⇒凄い人材だからか、後輩が育たないのか、我々視聴者が変化を求めないのか、要因は不明。ただ、明らかなのは、前述の通り次の世代の人材がいないのは間違いない。そして、大御所に共通しているのは、知性があって、バランス感覚を持ち、決して暴力や暴言で人を傷つけず、特異な業を持っていること。
 改めて彼らを見ると、みんな芸人育ち。日本のTV界は、そんな構造なのかもしれない。

タレントあがりの市長。「大阪都構想」を市民に問う選挙で敗北し、任期切れで政治家を引退するとのこと。どうせ、次はTV復帰で、コメンテーターになるのだろう。シナリオは決まっている。みんな嫌だが、そうなると解っている。誰もどうすることも出来ない「流れ」だ。
 前述の松本が発言。『島田紳助兄さんがいれば、いい結果が得られたのに』・・・・と。紳助、松本、橋下、なんだかキナ臭い。繋がりや共通点や思想的な関係は無いかも知れないが、この3人以外に、たかじん、百田、などを加えると、よく解らないが、きっと仲間なんだろうな・・・・との印象。

 最近、堀江モンがTVに出始めた。犯罪者だが、刑期を終えて出てきたのだから、別にTVに出てもいいが、その発言を聞くといちいちムカッ腹が立つ。見たくもない人物だが、好きなクイズ番組「Qさま」に出ているので、仕方なく見てしまう。相変わらず、酷い人間性丸出しの発言。何も変わっていない。人を尊重することを知らず、自分中心の権化のような奴。TVはなぜこんな人間を使うのか理解に苦しむ。

 悪知恵だけで大金儲け出来て、ある種の権力までも手に入る世の中・・・。村上ファンドもそうだが、当時の「小泉政権」が作った産物、異物。小生は一連の人間たちが嫌いで嫌いで、しかし知人には「ちょっと真面目すぎるのでは?」と言われていた。そんな人間に限って、小泉政権好きで、ホリエモン大賛成。あいつは面白い・・・と。そして「さんまよりも紳助のほうがいい」と評価し、「橋下しか日本の政治を変えられる人物はいない」と口汚く他人を罵る橋下を応援する。その知人が好きな人物は、みんな失脚するか、犯罪者になったが・・・。だけど、知人に限らず、日本人って、そんな価値観を持った人が多い。要するに表面しか見ていない。

 どうやら、日本のTV局や番組作りが、日本そのものをダメにしているようだ。

2015年6月1日(月)
 健康管理能検定1級合格!

健康管理士の資格は持っていたが、あまり使うことも無く、約十年が経過していた。そんなとき、協会から連絡があり、「この度、能力検定1・2・3級の資格認定試験を行う」とのこと。しかも永年の健康管理指導員の資格保持者には、早い時期に優先的に受験できると。これはチャンスと早速受験し、見事「能力検定1級」の資格認定を授与した。
 何はともあれ、嬉しい。この年になって、試験に合格するなんて、滅多にない。素直に喜んだ。「検定1級認定」を持っていても、特別に有利なことはない(と思う)。健康関連の仕事で、例えば就職試験を受ける時に、少し+αの評価を貰える程度か?
まあ、普通の人よりも健康に関する知識はある。何かビジネス等で使えることはないか、考えてみたい。

こんなめでたい話の次に暗い話でなんだが、どうやら小生は、人生で初めて「うつ病になっていたようだ。なぜ認識したか? 実は、その能力検定1級の試験問題に「うつ病」が大きく取り上げられており、その設問の回答でハタと気づいた。あれ? 自分も同じ症状だったのでは・・・・と気付き、愕然としたのであった。
※例
<問:うつ病と診断できる症状と期間を答えなさい>
症状の回答を要約すると――
1.睡眠障害⇒早期覚醒:夜中の2時3時に目覚め、考え込んで眠れない
2.年中脳が覚醒状態(副腎疲労)⇒1日のバランスが崩れ、朝起きられない
3.食欲不振⇒知らぬ間に体重が減少
4.初期と治りかけの時に自殺願望が出てくる

――全てが当て嵌まっていた。昨秋、人間関係でトラブル…というか、関係性に問題が生じた。その原因の多くは小生にあるのだが、その際、人生初と思えるぐらい自分を責めた。自分が悪いから、自分の人間性に問題があったからこうなった・・・・と。元来、小生は人間関係には無頓着だった。善し悪しは別にして、自分で抱え込むより、どちらかと言えば「人の所為にする」タイプ。従って、それによって、人間関係でのストレスはあまり無かった。そんな人間が、心にショックと傷を受けたものだから、従来とは全く逆の反応をしてしまったようだ(従来なら他人の所為で即終わっていた)。
 自責の念が強過ぎて、「あの時、別の方法をとっていれば…」と後悔ばかりしていた。真冬の極寒の夜中に、ベッドで全然眠れず(or目が覚めて)悶々としている。徐々にベッドに行くのが怖くなり、自殺願望・・・というか、生きていることの価値が低くなっていく感覚。それでいて、日中は眠くて仕方がなく、車でよく居眠り運転をしていた。

殆どの人は「うつ病」には無縁だから、どんな病気かピンと来ない。もちろん小生も無知。古くは高島忠男氏が発病して、奥さんや俳優の息子二人が父親の様子を語っていた記憶がある。「クイズ・ドレミファドン」であんなに陽気で無条件に明るかった人が、鬱病だなんて全く想像できなかった。
 その後、徐々に知識が増えて行き、最近では、競馬の後藤騎手が自殺した原因が「うつ病」だった可能性がある…との週刊誌情報があったり、直近では俳優の萩原流行氏のバイク事故で大きくクローズアップ。実は永年、夫婦でうつ病を患っていたと(本も出版)。萩原氏は、ここ数年で交通事故を4,5回起こしており、最近は「当て逃げ」事件も。

小生はどう対策を講じたか? 自分でも正確に覚えていないが、ある時から自分を責めることを止めた。自分を否定し、自分と向き合い、自己分析する作業を止めたときから、心が軽くなった。
 「自分ばかりが悪くない」「相手にも問題があった」と切り替えて考えられるようになってから、前述の睡眠障害などの症状が少なくなった。そして、とにかく次の目標設定だ。「まだまだこんなことでは、くたばらないぞ!」と前を向いて、新たな生きる意欲が湧くような目標設定と実行が回復の鍵を握ったようだ。

 思えば、このHP「言いたい放題」でも、昨秋からウダウダと自分の内面ばかり書いている。本来、自分のことなど世間に言いたくない性分。これまでは、政治家やTVタレントの悪口や批判ばかりしていた。どころが、この半年間は人が変わったように自分のことばかり。読み返しても、いい人ぶった内容。これも「うつ病」から来たものだろう。自分を知ってほしい、聞いてほしい、明確には言えないが俺はこんなに苦しんでいる・・・・。
 
 色々吐き出したことによって、ダークサイドから抜け出したのであろう。

 本当にうつ病なら、治りかけの今が危険な時期のようで、再度「自殺願望」が出てくるらしい。気を抜かず、注意しておきたい。ま、自分は大丈夫だろう・・・と思っていたが、年齢や環境の変化によって、ガラッと変わるもの。本来の自分ではない状態が、突然やって来ることを身に染みて感じた。恐怖。

 今後、当「言いたい放題」で、自分の内面や精神状態について述べることは無いはず。次回からは、どんどん人の悪口を書こうと思う。もしも、自分の悩みをウダウダ書いていたら、大橋がくたばるときが近づいたと判断できる。





















2015年3月18日(水)
アメリカン・スナイパー」の衝撃
 

久々に映画館に出かけた。大画面で観たいというより、この映画だけは一日でも早く観たかったからだ。米国ではアカデミー賞の候補に複数挙がったものの、受賞は音響賞のみに留まったが、日本の映画評論家がこぞって★5つの最高評価をしていたので、一体どれほど素晴らしい映画なのか・・・との興味もあった。感想としては、噂にたがわぬ凄い映画だったと素直に。如何にもクリント・イーストウッド監督らしい淡々とした作り。押しつけず、騒がず、怒鳴らず、クドクド説明せず、無駄なシーンが一切ない撮影と編集。だからこそ、観客に考えさせるのだ。主人公のスナイパーを全く英雄視していない。説明的に描いていないから、主人公の愛国心の芽生えから、戦争の苦悩に変化していき、PTSDの病に侵されていくプロセスが流れるように判っていく。そして衝撃のラスト。この映画は、スナイパーの自伝書(ミリオンセラー)を基に脚本が書かれていたが、本人に衝撃的なことが起こり急遽書き換えられて、映画が完成した経緯がある。ネタバレにならないように、結末は書かないが、まさに事実は小説より奇なりである。

 米国では空前の大ヒット。特に保守系の政治家たちは大絶賛。それをリベラル派は完全に馬鹿にしている。保守派は、「これぞ、911以降の対テロ戦争の重要性を描いてくれた素晴らしい愛国心映画だ」と。逆にリベラル派は「如何に中東戦争、対テロ戦争が無意味なものであったか、戦争自体の悲惨さと帰還兵の心の病(PTSD)という二次的被害を描いた見事な反戦映画」と。真っ二つに分かれる論争を生んだ状況を、クリント・イーストウッドは冷ややかに見つめながら静かに笑っていることだろう。

 衝撃のラストと、実写のニュース映像のようなシーン。エンドロールはBGMが流れるはずなのに、全くの無音声。場内がシーンとしているので、涙で鼻を鳴らす音が異常に響く。小生も涙を堪えていると、自然と背中が震える感覚を久々に味わった。

イーストウッド監督は、「ミリオンダラーベイビー」でも「ミスティックリバー」でも「グラントリノ」でも、みんな衝撃シーンは静かに淡々と描いている。だから逆にそのショックや凄味が伝わってくるのだろう。名作ばかり撮り続けている稀有な監督である。どうしても「ダーティーハリー」や「荒野の用心棒」のイメージが強く、格好良いけれども、知性とは遠いイメージ。だが180度逆で、市長も経験したし、映画監督を始めてからは、年間何百冊も小説を読んで映画化を常に考えており、若手脚本家から送らてくる脚本原稿もかなり目を通すとのこと。映画音楽の殆どを自分で作曲担当しているのも驚き。ジャズの大家でもある。
 撮影は早撮りで有名。あまり撮り直しをせず、一発でOKを出すことが多いらしい。そのために、俳優たちは逆に事前に役作りと台詞覚えは完璧に準備してくるようになったと。常に静かで優しく、相手を尊重し「グッドジョブ」と褒める。俳優たちはみんなクリントと仕事をしたがり、最も尊敬されている監督だ。アカデミー賞の主演・助演の男優賞・女優賞をあれだけ獲らせれば、みんなクリントの映画に出たがる。

 小生もそんな上司と巡り合っていれば・・・、いや、自分自身が少しでも相手を尊重して静かに仕事や人間関係を育める人間だったら・・・・、今頃どんなに心の豊かな人間として生活をしていることだろう。殆どの人間が出来ないから、やっぱり彼は尊敬されるのだ。

 「アメリカンスナイパー」に監督の遊び心を感じた。最後のほうで敵と銃撃戦になるシーン。まるで西部劇。道路側の人間たちと、建物の上や窓から射撃する人間たちで、激しい銃撃戦があるのだが、砂埃が舞い上がって撃たれた人間が上から落ちてくる。建物といっても2,3階建てだから、西部劇の屋根から落ちてくる高さと大差ない。たまには彼も遊ぶのだ。

ハリソン・フォードは不死身だ、と誰もが驚嘆した飛行機事故。小型自家用飛行機を操縦中にエンジントラブルに見舞われ、ゴルフ場に不時着して重傷を負ったが、命に別状なく俳優として完全復帰できるとのニュースに、世界中の映画ファンは胸を撫で下ろした。自家用飛行機を10数機所有しており、70歳を超えて未だに自分で操縦しているのは、まさにスターウォーズのハンソロ船長を地で行き、「レイダーズ」のように何度墜落しても死なない主人公のようだ。いい話は2つ。
1.墜落現場は郊外の住宅地。被害を最小限に食い止めるために、住宅街を避けてゴルフ場に不時着したそうだ。流石のベテラン優秀パイロット! 本人が素晴らしいから、偶然近くでプレイしているゴルファーの中に、ちゃんと医者がいるんだな〜。医者の応急処置も適切で、救急車(か救助ヘリ)が来るまでに出血を抑えられたそうだ。
2.ハリソンは、これまで2回人命救助活動に協力したそうだ。大きく報道され、特に山火事で動けなくなった女性をヘリで救助したニュースは、確かに記憶にある。今回の不死身は、過去に人の命を助けたことの「お返し」だったのかも。

2015年3月8日(日)
宗教法人に誘われて

先日、知人の女性に誘われて、セミナーのようなものに行った。実際は、新興宗教の会合であった。薄々そんな予感がしていたが、日頃お世話になっている人なので、強い勧めに「よし、一度は見ておこう」との気持で行った。年齢を重ねると将来不安が大きくなり、自分に合うものなら・・・と正直、前向きな意識もあった。だが、完全に違っていた。翌日、自分には合わないと結論付けて、断りを入れた。では、何が違っていたのか?
・完全に女性のための宗教で、内容に共感できない。
・講義する副教祖が女性で、子育てや家庭内の主婦向けの話。
・実際、98%が女性で、その海の中にのみ込まれそうな圧迫
土日なら、もう少し男性が来るとのことだが、比率は圧倒的に女性のようだ。教祖は男性だが、関西中心の講義で東京には来ないとのこと。十歩譲っても、違和感があってストレスを感じるなら、入信する意味も価値も無い。

 最初から最後まで、「宗教法人」そのものだった。受付で新規の申し込みをしたが、ずらり並んだ笑顔の女性たち。気軽に話しかける入信者。会場は巨大な体育館のような場所で、その日だけでも二千人は超えていたと思う。講和が終わったら、先輩2人と紹介者の計4人で車座(円卓)になって個別面談。矢継ぎ早にセミナーの素晴らしさを2人が喋りまくり、ついでに小生の現状やプライバシーまで探っていく。ずっと相手の目を見て、絶対に視線を外さない。しかもずっと笑顔。こちらが否定的な意見を言っても、全てに「ああ言えば、ああ言う(こう言うではなく)」で、完璧なセールストーク。
 これ、なんだか昔あったな・・・・という遠い記憶が蘇ってきた。

あれは、もう40年以上前のこと。高校2年生のときに同級生になった友人。全てにおいて自分より大人。喧嘩に明け暮れた武勇伝も、酒も、岡林信康も、全てその友人から教わった。初めて、「親友ってこんな相手かな」と。ギターの弾き方や、岡林のように重くないフォーク歌手の吉田拓郎は、小生が教えた。拓郎が全国ツアーで倉敷に来たとき、2人で単車を駆って見に行き、帰って語り明かした思い出も。もう、「青春」そのものだった!
 だが、それから数年経って様子が変わってきた。「人間革命」の本を熱く語ってくる。池田○○という人が書いた本とのこと。最初は知識が無かったので、ふむふむと一生懸命に聞いていたが、徐々に「創○○会」という宗教団体の教祖が書いた本と解り、少しずつ距離を置き始めた。というのが、会って話をするときに、確か昔の友は聞き上手でもあった気がする。ところが、常に一方的に話すだけで、お互いに話をするという2Wayコミュニケーションが成り立たなくなったからだ。

 それでも勿論、親友であることには変わりなく、お互い社会人になって、会う頻度が減ったことが功を奏して(?)、違和感なく友人関係は続いていた。だが、あることを機に、連絡も取り合わなくなってしまった。それは、選挙の時期になると5〜6人で活動にやって来ることだ。小生は、東京で一部屋のアパート住まい。地方から親友が会員たちと上京して来て、最初は1日だけ泊めてくれとのことで一部屋に数人が雑魚寝したが、もう1日、もう1日と、回を追う毎に宿泊数が増えて行き、しまいには1週間近く5,6人の男が一部屋に泊まっていた。
 そのことが決定的となり、我慢できずに宿泊を断り、宗教の話は聞きたくないと宣言。20代の後半には連絡を取らなくなってしまった。

 今でも、吉田拓郎の歌を聞いたりカラオケで歌うと、当時の親友を思い出す。小生に大いに影響を与えてくれた友人。今でも、ありがとうの気持だ。しかし、2人の会話が宗教に関することで占めるようになって、友人でいることが困難になった。

 入信の勧めは、みんな共通している。人の目をジッと見て話し、一点の曇りも迷いもない。放っておいたら、ずっと喋り続ける。少し否定的な意見や反論しても、笑顔を全く崩さず、三倍四倍の言葉が返ってくる。

今の自分に、宗教が不要なわけではない。人類の多くが何らかの宗教を信仰している。キリスト教もイスラム教も、ある種、子供時代からの教育ツールでもある。たまたま無宗教に近い家庭に育ち、その後どの団体にも入信してこなかったわけだが、やはり年を取って「死」が現実のことになってきたり、様々な不安が増えてくると、信仰する対象の必要性を感じている。自分に合ったものを探していきたい。
 それにしても前述の試しに参加した宗教法人の女性の占める割合の多さには驚いた。そして、講義内容が「子育て」「家庭内の問題」「病気・健康」と、非常に一般的なテーマ。特に主婦は、如何に社会との関わりが希薄で、孤立して悩みながら生きているか、だから宗教に救いを求める・・・・その一端を見た思いがした。























2015年2月26日(木)
アカデミー賞受賞式⇒レディーガガの底力と才能



アカデミー賞の授賞式が行われ、TVで生放送を観た。映画好きには年に一度の最重要イベント。これを見るために独占中継のWOWOWに加入していると言っても過言ではない。最近はテニスの錦織の活躍で、ペイチャンネルの価値が増えたし、新作映画も多く放送しており、ちょと待てばDVDやブルーレイを買わなくて済むケースも。今年のアカデミー賞の目玉は、12年間も時間を費やして、同じ俳優がずっと演じていく「ボクが6歳の・・・・」だったが、助演女優賞を獲っただけで終わった。監督や演者の苦労や費やした時間に賞を与えるようなことはしなかった。きっと内容がそれほど面白くなかったのだろう。

世界中が注目するこのイベントは、何が面白いと言ったら、受賞者の緊張したスピーチである。あれほど人前で演じることに慣れているはずの大俳優たちが、極度の緊張や喜びでブルブル震えていること。スピーチ原稿を準備したと判ると、あざとい印象を与える。しかし、頭が真っ白だからスピーチメモを見ないと喋れない。だけど、そのメモを持つ手がプルプル震えている・・・。我々観客は、決して自分がその立場になることはあり得ないのだが、こっちまで緊張して体が硬くなり、「頑張れ」と応援してしまう不思議。このアドレナリンが出る感覚がたまらないのだ。
 最近は、そのガチガチ緊張も少なくなった。若い人には、昔ほどアカデミー賞の価値が高くないのか? 最近の流行は、決められた時間内で如何に多くの友人や家族や該当スタッフの名前を列挙するか・・・のようだ。確かに、昔はスピーチが長く、日曜日夜のゴールデンタイム放送なのに、8時に始まって5時間以上かかって深夜の1時ごろにやっと最後の作品賞発表・・・・・てなことがあったらしい。そこで、スピーチ時間を一人(例えば)2分と制限時間制にして、もしもオーバーすれば、『ジョーズ』のテーマ曲を流して焦らせる手法を採るようになって、一気に時間短縮になり、日付を跨がず11:30頃には終了できるようになったらしい。

 いずれにせよ、ここ数年見ていて感じるのは、堂々とスピーチをしている人は決まっている。黒人か女性⇒いわゆるマイノリティの人たち。差別・迫害を乗り越えて、人の何倍も努力して主役や助演の役を勝ち取った人々。生半可な肝の据わり方ではないのだ。特に黒人俳優は、+社会的メッセージを込める。使命感が衝き動かすのだろう。心への訴える力が半端ないのだ。

今年の目玉は歌手レディー・ガガのパフォーマンス。何をするか事前に発表は無く、CMに入る前の予告が何度もあるのに、いつまでたってもガガは出てこない。以前ののTBS世界陸上の「もうすぐ室伏選手の登場です」とテロップが流れて2時間近く引っ張るあれと一緒。そして忘れた頃に、出番がやってきた。今年のトリビュート映画が約50年前の「サウンド・オブ・ミュージック」。その功績を讃えて映画のダイジェスト映像が流れた後に、ガガが挿入歌をメドレーで唄ったのだ。
 日頃の奇抜な衣装ではなく、髪形も含めてノーマルで。どうしても「キワモノ」イメージが強いガガだが、今回は圧巻の歌唱力を披露。実は大富豪の娘で、小さいころから音楽の基礎を徹底的に叩き込まれたことが、ここで発揮された。日本と違って、本物の歌唱力や音楽センスがあるから欧米では歌手になれるのだが、ガガなどその代表者。キワモノ的パフォーマンスは、確固たる基礎の上に成り立った応用編なのだ。画家ならさしずめピカソ。彼は10代で写実的油絵は描き終えて、20代から抽象画の世界に発展した。従って、今回のガガの圧倒的歌唱力を知ると、年間何十億、何百億円稼いでも、文句は無いという気になった。
 唄い終わったら、アカデミーの候補者たち全員のスタンディング・オベーションは本物のようで、最後に出てきた「サウンドオブ・・」の主演女優ジュリー・アンドリュースが涙ぐんでガガを讃えた姿は、真の姿と感じた。

2015年2月7日(土)
藤沢周平の著書を読破したい

遅ればせながら、藤沢周平に嵌っている。元来、時代小説は苦手で、若いころは殆ど読まなかった。いや、「徳川家康」や「織田信長」「燃えよ剣」などの歴史小説は読んだ。というより、・・・読まされた。会社の上司から、「将来マネジメントに役立つ」とのことで、義務的に読んでいた。それから月日が流れ、小生も年を重ねてくると、と無性に時代小説を読みたくなってきた。
 きっかけは、ユーチューブ。2年前に、中島みゆきの「旅人のうた」を練習しようとUTUBEをチェック。すると、独自に画像を編集したものに行き当たり、「藤沢周平原作の映画やTVドラマ映像だけを編集しました」との投稿者コメント(現在は削除)。これに嵌った! 歌は「家なき子U」の主題歌だが、何故だか時代劇にピッタリ。見る度に涙が止まらない。映像の切り貼りでこんなに泣けるなら、一体小説はどんなに素敵なのだろうか・・・と期待し、まずは定番の「蝉しぐれ」から読み始めた。

導入から、心を鷲掴みにされた。過去に、風景をここまで素晴らしい文章で表現した作家がいただろうか? 大袈裟な言い方をすると、まるで上級の風景画を『読んでいる(?)』ような…。写真や映像ではない。あくまでも絵画なのだ。その風景・情景を主人公の心情を交えて描写する。もう最初の1,2頁から涙がポロポロ落ちてくる。なぜだか解らない。自分の「琴線」に触れるからか? 現代社会で色々なモノを我慢している心が解き放たれて、自分の奥底に潜む遺伝子(DNA)が喜んで感動して涙が出るのか? そして故郷の子供時代に見た風景を思い出す。素晴らしい描写を読み逃すまいと、最初のころはゆっくり読んでいた。どうせ一気に読めないタイプ。自分の特性にも合っていた。

 「蝉しぐれ」は、若い主人公が、切腹させられた父の汚名を晴らすために友人たちと奔走する物語。そして幼馴染の娘が殿の側室となって、その後どうなるか・・・という話。田舎の下級武士と農民と町人の質素な生活と情愛と「我慢!」。普通なら感情移入できない十代の男女の(叶わぬ)恋愛物語も、藤沢マジックにかかって驚くほど感情移入した。小説を読み終えて、涙とともに悪いものが流れ落ちた印象を持ったのは、初めてかもしれない。丁度、映画化されたものをTVで放送していたが、録画をしておいて、小説を読み終えてからゆっくり映画を見た。
 びっくりするほど小説の一字一句に忠実に作っていた。冒頭の風景の文章描写を、丁寧に映像で表現していた(なんか逆のような感じ)。父親の屍を荷車で運び、坂道で転げ落ちるところも、丁寧に時間をかけて重苦しく作っていた。監督は根っからの藤沢ファンだろうと想像。

その後、直木賞をとった「暗殺の年輪」他数冊の短編集を買って、読み続けようと思っていた時、たまたま知人から別の時代小説を勧められた。人気作家:佐伯泰英の「居眠り磐音シリーズ」が最も面白いと。その人は「藤沢は展開が遅くて疲れる」…と。いつも時代小説を読んでいる先輩の勧めなので、素直に佐伯氏の小説を買って読んでみたが、どうにも小生には感情移入できない。泣けるところが多いと聞いたが、私には殆ど泣けない。トントンと速い展開で話が進むが、活劇っぽくて、ジックリ情景を味わいたい自分には不向き。確かに面白いのだが、何より30刊以上続いており、まだ話が続く予定とのこと。つまり、主人公は死なずに生きているわけで、生きるか死ぬか、あの女性と会えるのかどうかをハラハラどきどきしたいのに・・・。今から30冊以上読破するにはモチベーションが続かないので、3冊目で挫折した。&根っからの時代小説ファンではない小生には、ちょっと難関だった。

 暫く小説を読まない時期もあったが、その後ぽつぽつベストセラー小説や人気のミステリーを買ってはみるものの、最初の数十頁を読んで・・・積んどく。例え米国人気作家のスティーブン・キングの本でも、翻訳した文章(文法がまどろっこしい)について行けない年齢というか脳回路になってしまった。週刊文春の「ミステリー・ベスト10」に選出されたものを数冊買ってはみたが、今はどれも面白くない(若い頃は即読み終えたのに…)。

 そして現在、藤沢周平に戻り、心静かにゆっくり読んでいる。いや、内容は暗く厳しい。下級武士の斬った張ったや裏切りの話、親子愛(特に母親と息子)とジレンマ、若い男女の悲恋・・・と。それが特有の味わいなのだ。ちょっとしたことで泣けて、なんだか自分の故郷に戻ったような安心感を覚える。全作品を読破するのは困難だろうが、代表作は全て読み切りたい。幸い、短編を編集し直した文庫本が多く出ているので、読み易い。著者は早くに愛妻を病気で亡くし、40代の半ばまで長期間に渡って「鬱屈」と「絶望感」の時代があったそうだ。それを執筆活動にぶつけたわけだが、男女の悲恋とブックエンドの結末は、人生経験が色濃く反映されていたようだ。後年は吹っ切れてユーモア溢れる作品が増えたようなので、執筆年代を後で確認するのも楽しみだ。













2015年1月26日(月)
厄年のお祓い













先日、厄年のお祓いに行ってきた。男の最後の厄年。還暦の祝いも同時に行うぐらいだから、昔は60年も生きれば=長寿の部類に入っていたのだろう。そして厄年=死と背中併せ(?)の危険な年。丁度、病気になり易い、あるいは災難・問題が起き易い年回りなのだろう。昔の統計的な結果により定められた年齢の節目。41歳の時は神社の中に入ってお祓いしてもらった記憶がないので、今回が最初で最後の正式なもの。15分ぐらいで終わったが、厳かな行事であった。
 宮司の方が最後に訓示的なことを述べた。「干支の未は、物静かで仲間を大切にする(群れる)生き物です。穏やかな生活で1年間何事も問題が起こらないように」と願って頂いた。この言葉は胸に染み入る。自分の性格云々は別にして、今年1年はこうありたいし、「仲間を大切にする」というキーワードを胸に生きる。年をとればとるほど、友達や仲間は増えていかない。小生などは、確実に減らしている。今年は逆に、今から新しい友人を作りたいし、今からでも性格を改善して、もっとフレンドリーな生き方をすると決意。

TVの「日曜劇場」を久々に観た。「半沢直樹」や「仁」の時間帯。今回は「流星ワゴン」というドラマ。ベストセラー小説のドラマ化で、俳優陣も揃っているとのことで、一話目を観たが・・・・。重過ぎる。怪優の香川氏がノリノリで演じているのも、逆に鼻につく。取り返しのつかない過ちを犯した主役とその父親が、タイムマシンのような「ワゴン車」で過去に戻ってやり直しを図る話。あまり辛い経験の無い人間にとっては、気軽に見られるかも…。しかし、過去に思い出したくもない苦く辛い経験のある人にとって、絶対に過去に戻ってやり直しができないのに、こんな夢物語を見せられても・・・。
 例えば、大震災で判断を間違ったことによって、大切な家族や仲間を失って、自分だけ生き残った人は・・・・ずっと自戒の念に苛まれて生き、過去に戻りたいと毎日願っている。津波の直前とか前日に喧嘩をして言い争った家族や恋人が行方不明になり、自分だけ生き残った人は・・・・ずっと後悔して自分を責め続け、喧嘩の直前にタイムマシンで戻って、喧嘩をせず、且つ安全な場所に避難させる夢を見ている。でもできないから毎日泣いて、罪悪感を抱いて生きている。そんな人が何千人いるだろうか? そんな人にとって、過去に戻って息子の家庭内暴力の原因を突き詰めるドラマなんて…、見たいだろうか?

 いや、きっと小説もドラマも出来がいいのだと想像する。ただ、自分も人生で初めて人間関係で心が痛んだことがあり、過去に戻りたくても戻れないジレンマを痛感したから、このテーマは嫌なのだ。どうしても忘れられず、思い出す。その時間が止まっており、時計の針が動いていない。だから、もう過去を振り返ってはいけないのだ。毎日思い出す自分を責めてもいけないだ。まず自分を許すことで、時計の針が動き始め、次に向かって歩んでこそ、時計の針が現在になる。「済んだことは、もうどうでもいい」「馬鹿馬鹿しい、ケセラセラ」と達観し、「冷静に考えたら俺ばかりが悪くない」と思えだしたら、しめたもの。どんどん傷が癒え、心が軽くなるから不思議だ。
 「謝罪しなければ」と考えた時期もあったが、そんなこともどうでもいいと今は思っている。過去の呪縛、これが解ければ未来に向かえる。

謝罪」といえば、サザンオールスターズの桑田のぶざまな謝罪。ネットやマスコミでは、「ロッカーなら政治的なメッセージを発信すればいいし、それを謝罪すべきではない」との論調・・・・・。えっ?桑田ってロックだった? そんな話は初耳。彼は「エロ・メッセージ」の多いミュージシャンでしかないと思っていたが…。別に信念も哲学もなく、勲章を茶化したりヒットラー擬きの鼻髭を付けた。それを叩かれたら即ゴメンなさ〜いと謝ったのではないか? 自分の影響力がどれほど大きいか、そんな認識さえもできない単なる流行歌手。
 人間として、ガッカリである。小生とは同世代で、出てきた時は嫌悪感を覚えるほど嫌いで、会社の飲み会とかで若い社員が(自分も若かったが)桑田の真似をしながら歌っているのを聞いて、軽蔑していたことを思い出す。ところが、徐々にブルース的というか、どんどんいい曲を出すようになって、自然とファンになっていったようだ。音楽家としては天才肌の人材と評価。
 いずれにせよ、何も考えず、いつものおちゃらけで政治批判をしてみた。その程度の人間でしかないことが露呈しただけ。


2015年1月22日(木)
医療に関する不思議第2弾

日本の医師法には不思議な所が多い。というか、不可解な制約・制限が多過ぎると聞く。正式には知らないことが多いので、あくまでもイメージと受け売りの話。従って、あまり深く突っ込まないように留意する。
 まず新薬に関する許可に長い時間がかかり、素晴らしい薬が海外で開発されても、なかなか日本の患者に到達しないことだ。とりわけ、ガンの抗がん剤。臨床試験で数年間(3年?5年?)の実績が出ないと、保険の対象にならないこともそうだが、海外の場合は日本に来るまでの時間と日本での実績を出す時間。命に係わることだけに、もっと短期間でスムーズなルートと意思決定を期待したい。
 鍵を握るのは「医師会」の存在か? 政治の選挙になると必ず名前が出てくる。それだけ日本の場合は、政治にまで強い影響力を持っている。
TVで、病院のCMを見たことがあるだろうか? あったとしても数社に限られており、一般の総合病院は皆無。昔から、病院の広告は「電信柱」と相場が決まっている。新聞広告も、雑誌も、広告は見たことが無い。
 TVで昔から目にするのは「タ○ス・クリニック」。整形美容外科で、機能や効果は一切触れず、社長が出てきてヘリコプターで格好つけているシーン。一時は郷ひろみが出演していた。最近のCMは専ら「湘南・・・・外科」。次々に若手医師が出てきて、「
好きな言葉は“信念”」「好きな言葉は○○」というあれ。なぜ病院の規模とか医療の効果・実績とか医師の実績とか、本質に関わる宣伝をしないのか、疑問に思う人が多いはず。CMの露出度が多いだけに(というかシツコイだけに)、なんで医師の顔と好きな言葉だけ?・・・と。
 理由は簡単⇒医師法の制約があって、基本的に医療や病院の広告は禁止されているからだ。だから、昔は電信柱にしか病院名を出せなかった。しかし、美容整形の目立ちたがり屋の社長が「社名連呼とイメージ映像ならいいだろう」と先駆者となってTVCMを始めた。
 
 今はインターネットのホームページがあって、各病院はそこで様々な説明ができるので、別にTVCMも不要になった。これは何が素晴らしいかと言えば、我々患者側に病院を選択する情報が出来たことだ。それまでは、何も解らないから重病なら地元の大きな病院や大学病院に言われるまま受診するだけ。今は「セカンドオピニオン」の時代。病院側が法律の範囲内で手術実績や生存率などのデータを出してくれるので、選択の幅が広がり、ヘンな広告は必要なくなった。






2014年12月26日(金)
医者って、いい加減な仕事?















いや〜、久しぶりの更新。1年以上振り。何から書けばいいのか、以前のように「あれもこれも書きたい、発言したい」という意欲が減ったようだ。
 3,4年前は最も政治に関心があり、民主党を応援したり、裏切られて幻滅したり、小沢氏に期待したこともあったが、本質が暴露されて誰からも相手にされなくなり・・・・。小生も年を重ねて、自分でも驚くほど保守的になった。別に左側の思考ではないが、若いころから「権力」や強いモノに戦いを挑んで、常に突っ張ってきた。サラリーマン時代は、上司に逆らうことに生きがいを覚え、ある意味の役割を果たしてきた部分もあったし、随分損なことばかりしてきたな、とも思う。ま、今後は、年も年だし、身近な事への「言いたい放題」を書きますので、気楽にお読みいただけでは幸いです。

もう10年以上前から、高血圧の薬=降圧剤を飲んでいる。以前職場があった新宿御苑辺りの中規模な病院で、毎月処方してもらっていた。ここは人間ドックも行うぐらいの設備が揃っており、医療レベルが高いということで永年通っていた。
 しかし、年月が経つと、徐々に関係性がマンネリ化。医師はとにかく薬の処方、患者は普段の混雑が嫌で、薬さえもらえばそれでいいとサッサと帰る。段々、患者(小生)の症状が悪化し、血圧が下がらない⇒薬の量を増やす⇒それでも下がらないから、朝+夜も別の降圧剤を飲む⇒ところが利尿作用が強く、頻尿という新たな症状。⇒珍しく患者が問題提起「夜の薬は頻尿を起こしている。変えてほしい」⇒だが医師は、「そんなはずはない。他の薬に変更しても利尿作用はある」・・・・・私と医師の関係はどんどん悪化し、険悪に。心の中で、私は「このヤブ医者目め」、医師は「素人患者がうるさい」と。

 こうなったら病院を変えるのが一番だが、試しに担当医(医院長)が休みの日に行って、サブの医師に確認。ところが、これがもっと酷く、「確かに降圧剤の種類は沢山あるが、その前に貴方は太り過ぎ。もっと痩せなさい」と高飛車な発言。「そんなに簡単痩せられれば苦労しませんよ!」と反論し、この病院には二度と行かなくなった。

普通、10年以上通っている病院なら、何ヵ月も行かないと「大丈夫ですか?」「どうかされましたか?」と電話があるはず。しかし、この新宿御苑の中規模病院は一切無い。患者ではなく、「消費者」って扱い? 次々に処方される薬が増えていき、月間7〜8千円の薬代を払わされて、気に入らなければお払い箱? いい加減なものだ。ま、それが実体か。
 即座に近所の開業医を探し、ネットで評判がいい病院、医師の紹介頁で熱心に語っている人・・・・そんな観点で現在通っている病院を選択。初日から、レントゲン写真を撮るは、血液検査をしたがるは(前病院は無し)、無駄な薬はどんどん止めましょうと。驚くほど積極的。あまり押してくると、面倒くさい気になるが、まあ今回は全て受け入れてみようと従い、結果的にいい主治医になってくれそうな予感あり。
 無駄な薬を飲まなくて済み、降圧剤も朝のみで下がるようになり、血液検査の結果、悪玉コレステロール値や糖尿病の目安になるヘモグロビン値が高いことがわかり、「まずは本気で体重減する!」と決意させてくれ、今では6,7kgのダイエット成功と、悪い数値の大幅減を達成することができた。

 医師との相性なのかどうか解らない。ただ、相手が本気で言ってくれているのか、いい加減な仕事なのかは、患者として見分けられる。その違いか。

2014年12月25日(木)
人生の区切り⇒これまでの感謝巡り?

年賀状を書く時期になると、非常に億劫になる。受取人ご本人が亡くなることが多くなったり、年賀状は止めたという人が増えたりすると、自分もそろそろ止めようと思うからだ。なかなか決断できずにズルズルと来て、今年も(2015年版)書いて投函する予定。従来と違うのは、2015年は年男であり、遂に60歳還暦を迎える点。光陰矢の如しというが、自分が遂に60歳になるかと思うと、時の経つ速さを痛感。今時60歳は「老人」ではないが、自分が子供だった時代の60歳は完全なジジイ。なんだか恐ろしいような、いやはや、60年もよく生きてこられたな・・・とも。
 去年までの年賀状では、手書きでコメントを書くのも面倒だったが、どうやら今年は違う。「還暦」との言葉を書いている。そして、書きながらジワジワと感じたのは――
『今後いつまで生きられるか判らないのだから、暫く会っていない懐かしい人に、みんな会っておこうかな』
――ということだ。やはり将来不安は年と共に高まってくる。普段会う人も徐々に狭まってくる。会いたいのに「いつでも会える」と機会を作らなかったり、気が合わないから知らぬ間に会わなくなったりとか、色々ある。

全員に会うのは無理としても、来年1年間で極力多くの人と会いたいな、と年末の今考えている。自分が60年間生きてこられたのも、周りの支えてくれた人たちのお蔭。その感謝を伝えるのは照れ臭いが、元気な顔を見せ、お互いに近況を話すだけでも意義がある。
 まだ間に合う。まだ性格や人間性を変えられる。まだ改善できると思うから、この年になっても未来志向でいられるのだ。

 なんだか、来年の還暦=人生の大きな区切りにやるべきことが見つかったような気がする。




















2013年9月26日(木)
1年ぶりに更新します

久しぶりに「言いたい放題」を記入しようと頁を開いたら、なんと1年以上更新していなかった。どうやら、このコーナーへの興味が無くなった・・・というよりも、必要性が無くなったのかもしれない。何度も書いているように、「ツイッター」を始めてからは、政治・社会に対して言いたいことがあれば、そちらで発信するようになった。しかし、それも最近は、メッキリ減った。正直、意欲が無くなった。というか、「どうせ自分が発言しても」・・・という諦めの心境になったかも…? あるいは、一時期よりも発言したい世の中の問題点が減少したのか? 自分の心境の変化も含めて、最近発信しなった要因を考察して、久々の更新とする。

1.確かに自民党政権に戻って、相対比較で安定感が出た。私のの政治批判も、ちょっと「中休み」という感じ。この3年で、日本国民として疲れがドッと出た。

2.本当に民主党の3年間は酷過ぎた。途中から、個人的な好き嫌いのレベルでの批判になったり、大震災以降はこちらも頭の中がパニック症候群のようになっていた。ツイッターでストレスを発散できたのは良かった。

3.小沢一郎の存在抜きには語れない。マスコミ、検察、同胞(民主党内部)、一部の評論家と、ありとあらゆる相手から袋叩きに合う政治家って、もう後にも先にも出てこないだろう。小沢を論じていた時代は、勘違いによる擁護ではなく、叩く奴らの論理があまりにも一面的で、小沢潰しありきで、ヒステリックで、叩くべき相手は民主党首脳の馬鹿どもだろう・・・・とのイライラ等、発言したくて仕方が無かった。

4.しかし、まさか小沢の真の姿が身内から暴かれようとは…。妻から三行半を突き付けられようとは・・・。震災から何カ月経っても被災地の地元に帰ろうとせず、「この男は一体何を考えているのか?」と総スカンを食い、遂に妻から週刊誌に売られて、狼の(猪?)皮を被った子羊であることが知れ渡ってしまった。『放射能が怖いから、家から一歩も出ない』・・・って、参った。小沢の真実って、こんなに憶病で小心者だったのか。

5.鳩山、菅、小沢の「3馬鹿トリオ」と、尻の青い政経塾出身者+左翼的政治家のお蔭で、日本は滅茶苦茶になった。史上最低の政党政権の後だから、誰が何をやっても、まともに思えるから不思議。自分が年を重ねたこともあるが、同年代の安倍さんに、「まずは、日本をまともな状態に戻してくれ」と祈るだけ。遠吠えよりも、見守るほうがラクになった。

6、勿論まだまだ問題も多い。ただ、二度目の総理経験で、ポイントの押さえ方が上手になった。動きや発信もスピーディー。鷹派であることで、中国・韓国への重石になっている。今は静観したほうがよさそうだ。

7.「売り言葉に買い言葉」、一方だけに論点が偏り過ぎると、どうしても言いたくなるのが人情。日本のマスコミは、中立性も客観性も公平性も持ち合わせていない。あるいは、新聞各社によって違った哲学やポリシーや見解があってもいい。だが、そのどれもない。みんな大勢に流されているか、見えざる力によって動かされている。国民も選別する能力が無い。これは戦前戦中の大本営発表と本質が変わらない。日本人の特性なのだろう。

8.そのマスコミが何も言わなくなると、こちらも発信したり議論する意欲が失われる。この「言いたい放題」を更新しなくなったのは、それが最大の要因かもしれない。今のマスコミは何も考えないダボハゼ。「小沢」という毒のある餌を失い、専ら「橋下ネタ」。彼が何かを発言すればすぐ食いついて、垂れ流すだけ。ある時、橋下のあまりにも酷い発言が腹に据えかね、思い切ってツイッターで本人に直接メッセージしようと試みたことがあった。

9.フォロアーなら、ダイレクト・メッセージを出せる。人に罵詈雑言浴びせる人間が、自分にやられたらどんな反応をするか見たかった。ところが、橋下のつぶやきを見て驚愕!! 140文字びっしり書き込んで、5分おきに新規のつぶやき。一日何十件書いているのか? 殆どが他人への罵詈雑言。こいつは頭がおかしい・・・と思い、もしも批判を直送したら、どんな反論が返ってくるかわからない(それこそ10倍返し)と、ゾッとして止めた。きっと書き込む秘書がいるのだろうが、『こいつは、狂ってい…る』と正直思った。狂った人に喧嘩は売らない。

10.飛ぶ鳥を落とす勢いの橋下も、墓穴を掘ったというか、自爆テロのようなもので、マスコミが全ての発言を発表するものだから、失言で(いや、本音で)米国まで敵に回して、あっさり撤回し、政治家生命の将来が真っ暗になった。マスコミを利用する側される側、どっちもどっちで、諸刃の剣はお互いの肉を斬る羽目に陥った。最近はマスコミも、当たり障りのないことしか報道しないので、私の発言意欲も静かになっている。

11.結果論だが、日本の再生は「東京五輪誘致」が鍵を握るだろう。安倍は、世界中から猛批判の「福島原発の汚染水漏れ」について、仕方なく「対処法は見えており、コントロールできる」と宣言せざるを得なかった。しかし日本にとっては、これが大きな「分かれ目」になる。もう、やり切るしかない。今の日本は何をすれば世界から評価され、必要とされる国家になれるのか、その答えが見えたはず。
 今やるべきことは、たった3つだけ!
@福島第一原発の収束に、政府が国をあげて最優先で対応する。東電から権限の全てを剥奪する。「復興予算」を撤廃し、「原発収束予算」とする
A消費税の値上げを暫く凍結。その代り、「復興税」として値上げする。但し全部復興に利用する(3年間で終わらせる)。福島原発への予算と実績、はては仮設住宅⇒住宅の提供等への使用など、詳細に税金利用の予実を国民に報告する
B世界に頭を下げて、原発のエキスパートを集結し、国家としてプロジェクトを組み、全世界のノウハウと技術を受け入れ、五輪実施年までには完全に収束し、福島県民も予定の住民は帰宅する

 経済政策は現状レベルで十分。どうせ国の莫大な借金は返済できない。五輪実施に向け、道路整備、環境整備、観光整備、その他折角のチャンスを利用して、建て直すことばかり。景気向上効果は大きい。


まあ、本日は、こんなところ。また、思いついたら更新します。





2012年8月20日(月)
この夏、五輪、日本政治、領有権問題・・

何か発言欲求があれば、相変わらずツイッターで述べているので、この「言いたい放題」のページはすっかりご無沙汰している。今見ると、なんと10ヵ月振りとは…。政治に対しても、正直言って一時期の熱は醒めた。いけないことだが、「諦めの気持」が支配している。どうせ、何を言っても無駄だ、どんどん狂った方向に走っているが、もう止められない――と。小沢の馬脚と体たらくも拍車をかけた。以前は「何か変えてくれる」との淡い期待があった。だが、明らかに幻想だった。もう、今の日本には「リーダー」は存在しない。誰も彼もがだらしないから、ポピュリズムの権化であり危険な匂いがプンプンする橋下のような人物がチヤホヤされる。いや、彼には潜在能力があるのかもしれないが、現段階の言動を見ていると、感情的で子供じみて支離滅裂で、およそ国を背負うリーダーには相応しくない人間に思える。しかし、政治家が彼を恐れ、彼に振り回され、マスコミが利用されている。未来に希望が持てない2012年の夏…。

さて、先日までロンドン五輪が行われていた。こんな閉塞感漂う時代だからこそ・・・ではないが、自然とTVのチャンネルを合わせている。現地では夜のゴールデンタイムに決勝や重要試合が行われ、英国との時差の関係で日本は朝の4時前後。録画しているからいい、と寝ても、丁度トイレで1回目の起床が4時から5時の間。TVをつけると、見入ってしまい、結局2週間ずっと寝不足だった。
過去もそうなのだが、五輪中は色々なことに気付く。きっと感性が研ぎ澄まされているのだろう。また、強烈なナショナリズムが内面から湧き出てくるので、主観的側面が強いけれど、「勝つ」という目的だけに絞った問題発見や対策考案ができるのも事実。普段眠っている脳細胞が、活発に働くようだ。

 ゴルフの石川、イチローのヤンキース入り、五輪、政治の体たらく、領有権問題と、この夏も色々な出来事があり、感じることがあった。以下、ツイッターの分量(140文字)を意識しながら、感じたことを列挙。

石川遼の頭の中身をマネジメントしてくれ
石川は、今年のメジャー全てに出場。全米OPや全米プロで初日好位置に付け、二日目も前半の9Hまで何とか我慢。しかし、インコースから必ず崩れて予選落ち。技術面は世界レベルに達している。外見も格好いい。しかし問題は、頭の中身と精神面。全米OPは優勝予想スコアーが±0の超難コース。2日目まで我慢してパーを拾う戦略のはずが、「二日目は攻めます」と談話。こいつ馬鹿ではないか?と思ったら、案の定、大崩れ・・・。

石川は英会話教材のCMに出ている。実際、かなりの英語力を身に着けているとの噂も。しかし、ツアーでは日本選手だけでつるみ、マネジメントの日本人の取り巻きを常に引き連れているそうだ。それじゃあ、英語力が上達するはずなし。英語のCM止めてしまえ! 本当にゴルフの才能はある。でも父親をはじめ、周りが問題のようで、才能を殺している。勿体ない。でも、それでも日本人では最上位だから、日本選手のゴルフが低レベルということか…。

英国では五輪も勿論、賭けの対象
英国には「ブックメーカー」という組織体がある。公認「ノミ屋」のようなもので、何でも賭けの対象にする。これを民間がやっており、面白いのは会社によって賭け率(=オッズ)が違うこと。きっと、競馬の英国ダービー発祥と同時に広まったものだろう。ロンドン五輪も当然賭けの対象になる。日本には、ギャンブルを毛嫌いする人間が多いが、さすが紳士とユーモアの国。羨ましい生活文化。

「褒め殺し」された日本選手
事前にオッズが発表された。日本人では水泳の北島や柔道選手、女子レスリングなどが高い人気。それでも全体の1番人気は陸上100Mのボルト選手と思いきや、1.2倍の1番人気は体操の内村選手だった。始まるまでは、なんだか日本人として誇らしい気分だったが、五輪が進むにつれ、邪魔なものになっていった。北島はメダルさえも獲れず、柔道は金が獲れないことをルールや審判の所為にする始末、そして内村はミスの連発…。完全に「褒め殺し」された。

内村は団体戦に最も不向き
内村の発言と存在が、逆に日本体操の団体金メダルを阻害したと思う。「団体で金を獲れなければ意味が無い」と言い切った。でも、自分が予選でミスを連発して雰囲気最悪。プレッシャの意味が解らない、と言っていたエースが・・。最後の演技で審議になったのも内村。「銀でも4位でも関係ない」との談話を聞いて愕然とした。なんと傲慢な…。お前は個人総合で金を獲るだろうが、他のメンバーは団体のメダルが全てなのだ。こんな人間が、よくも団体云々と…。呆れた。

国籍って何なの?
柔道のロシアの選手がロシア人に見えない。中東の人種に見える。中国の強い競技(卓球、バトミントン他)は、欧米なのに中国人に見える選手が多い。陸上はアフリカ系の人種が席巻。長距離も完全にアジア系が弾き出された。米国は多様民族国家だからいいとしても、最近は欧州でもアフリカ系の選手が目立つ。元植民地や移住者の関係か。いずれにしても、日本の「国体」なみに、五輪直前に国籍変更(住民票移動)している選手が多いようだ。

男子サッカーの勘違い
日本男子サッカーの活躍は、大いに盛り上げてくれた。下馬評が低かっただけに一層頼もしく思えた。180p以上の身長の選手が多く、欧州選手たちに見劣りしない。パス回しも華麗で、流石に清武は巧い。FWの永井は、今五輪のスピード・スタートして一気に注目。しかし、竜頭蛇尾で、メキシコに完敗、韓国にも惨敗。組み合わせの運が良かっただけだった。永井の敗戦弁「韓国の蹴るだけのサッカーに負けた」・・・⇒おいおい、お前が言うな。『走るだけのサッカー』だった人間が。案の定、欧州クラブのどこからもオファーは無かった。

TV中継の解説者が酷過ぎた
競技によっては優秀な解説者もいたし、例えば陸上フィールド競技のベテラン解説者は安心感があった(ハンマー投げ等)。しかし、概ね素人レベルで、大声で歓声をあげている人物が目立った。中でもフェンシングは酷かった。まるで元ヤンキーのような…。ボクシングは「はい、ナイス〜」とか「はい、ナイス左〜」とか、ちょっと長嶋さんばりの和洋折衷でセコンド並みの声援。とにかく、他競技も含めて何故そこにポイントが入ったのか、的確な解説がほしかった。

柔道とレスリングの合体?
日本柔道の衰退を決定付け、「JUDO」に転換したことを世界に示した大会でもあった。『ジュリー』の存在や問題、審判のレベルの問題など、色々あるが、それは大きな問題ではない。逆に日本柔道の未来を考える上で、その実態を前提に研究する必要がありそうだ。欧州を中心に世界に広がった要因は、柔の道からスポーツのJUDOに変化したこと。勝敗を決めるために「優勢」とか「教育的指導」では、欧州人には理解できない。そして今回改めて五輪で解ったこと。ポイントも反則もルールがレスリングとそっくりであること。違いはタイツか柔道着か。会場も同じ。解り易く、もっとルールを近づければいい。

笑顔の女子と負けて泣く日本男子
最後に男子選手の巻き返しがあったが、大会を通して日本は相変わらず女子選手の頑張りが目立った。いつもそうだ。今回も、柔道男子が決勝で2階級負けなければ、ここまで柔道への批判は少なかったはず。男子の中軽量級で銀、銀ときて、「もしや金ゼロでは?」と雲行きが怪しくなったときに野獣=松本が気迫の金! その後、銀メダルまでは取るものの、競技も中盤をこえて内村の金を足して2個のみ。そんな時に、女子レスリングで、金、金、金! 伊調と吉田の3連覇は圧巻。笑顔の女子に比べて、負けてび〜び〜泣いている男子の情けないこと…。後述の政治にも絡むが、日本男子は「女の腐った奴」が多い。

晩年のイチローと松井の対比
日本野球のスター2人の動向が対照的だ。2人とも明らかに年齢的な衰えが来ている。客観的に見ると、引退時期が近づいたように見える。松井は、やり残したことがあるかのように、自由契約になっても新たなオファーを待っている。レイズに拾われて、メジャーに上がった途端に本塁打を2本打ったから、客観性を失っているのか? 色々な意味で不器用だ。一方のイチローは、自分の限界というか、引き際を見極めたようだ。憧れのヤンキースに電撃トレードを自分から申し出て、最後の花道を飾る選択をした。イチローは最後まで器用で、ある面、米国的だ。松井ファンとしては、屈辱的な状況。しかし、2人の特性が出た、象徴的な結果に見える。だが、ヤンキースは応援せず、最後の松井の勇姿を待つ。

8/21
日本のスポーツ・マスゴミも頭おかしい
ゴルフ中継で一つ言い忘れていた。テレ朝・・、なぜ全英OPのゴルフ中継に、あのド素人の松岡を使うのか? きっと世界中の笑いモノになっているはず。石川も自分がセカンド・ショットを打つときに、はしゃいでいる松岡修造の姿を見たら、恥ずかしくて仕方がないと思う。もう、予選落ちで早く日本に帰りたいと…。そして試合後、青木から猫なで声で「遼ちゃん、残念だったね〜」と慰められている。石川遼をダメにしている元凶は、日本のマスゴミ(マスコミ+ゴミ)だ!

女の腐ったような自民党総裁
また近々、内閣不信任案を出すようだが、お盆前の不信任案で最大野党の自民党議員がほぼ全員欠席するという、およそ民主主義議会政治では前代未聞の事態が起きた。全ては野田ドジョウに谷垣がしてやられた(騙された)から。どこかのラジオ局政治部記者が「まるで騙され続ける女のようだ」と比喩していた。確かに野田の「近い内に解散」=不倫男が「近い内に離婚するから」で、信じて皆を欠席させた谷垣=男が自分と結婚してくれると信じている女である。

日本は女性リーダーのほうが適している?
史上最悪の総理=鳩山に負けないぐらい、谷垣は史上最甘お坊ちゃま野党総裁。野田にしろ、谷垣にしろ、こいつらが一国を動かす政治家とは・・・、日本の現状を端的に表している。親父は嫌いだったが、今最も骨と信念を感じる政治家は小泉。横須賀の住人だったら、今は迷わず投票する。しかし、五輪を見ても判るように、今の日本男子は女々しく泣いてばかりで、日本女子のほうが遥かに男らしい。政治も女に任そう。もちろん社民の福島や自民の小池レベルではない。男らしい日本女子議員がいるはず(発掘しよう)。

思えば「韓流ブーム」を作って日朝間を緩和させたのも女性。意味のない敵対心など無いのだ。消費行動や経済を動かすのも女性。元来、日本の女は強過ぎるから「大和撫子はお淑やかに」と小さい時から育てられる。逆に日本男子は弱くて女々しいから「男は強く、泣いてはいかん」と育てられてきた。やはり本来の姿に戻そう。政治のリーダーは「女」! 外交も女性の総理や外務大臣なら、韓国や中国と巧くやっていく。


領有権問題の真実は?
竹島、尖閣諸島、北方領土、これらの領有権はどちらの国にあるのか、その真実を知りたいとみんな思い始めた。誰か、正しく客観的な歴史認識を教えてくれ。全ては第二次大戦後に敗戦国の日本の領土を奪われ、占領していた米国が線引きをしたことが今に至っているとの認識。要するに「実効支配」だ。北方領土は正にそう。ロシア人が住んでいる。竹島は韓国が、尖閣は日本が支配している。米国の線引きが曖昧だったから、実効支配が勝っている。じゃあ、それを前提に、今の線引きをしてくれ! 米国を間に入れて、地図にマジックで線を引く作業まで先導できるリーダー、おらんか?

だが、年齢とともにナショナリズム↑↑
正直、韓国・北朝鮮や中国に対して、強烈な対抗心がある。反日言動には憎しみが湧く。若いころより強くなった。高校時代の親友が在日で、色々な苦労話を聞かされた。それがために、若いころは「反日」的な思想だったのに、菅+仙石政権(
赤い内閣)のお蔭で一気に右側に振れた。そして五輪では「倒せ、絶対に負けるな〜!」と対韓国、中国。韓国大統領の竹島上陸に怒り「お前は日本生まれだぞ」と頭にきた。尖閣への香港活動家の映像には「こんなジジイは逮捕して本国に帰すな」と怒りは頂点に。好戦的になって、いざとなったら自衛隊を出せばいい・・・・とまで頭に浮かんでしまった。

8/22
完全に舐められた弱腰外交
今すぐ好戦的外交に転換することがいいのかどうかは、数日たって冷静に考えると醒めている。こればっかりは自民党時代がいいとは言わないが、結果的に例えば小泉の靖国参拝は、抑止力になったようだ。右寄りの政府に対して、韓国も中国も一目置いていたというか、あの大日本帝国時代を持ち出して批判しながらも、一応の警戒を覗かせていた(日本の武力の質量へ)。ところが民主党の左翼政府に替わって、尖閣を刺激してみたら想像以上の弱腰。よし、攻め込め〜!とばかりに、中国、ロシア、韓国がどんどん日本を馬鹿にして進出してきたのが現状だ。

竹島の不思議
ここで一旦、韓国側の立場になってみよう。彼らにとっては「独島」。昔は自分たちの島だった。それを植民地支配のよって日本の領土に獲られ、第二次大戦後韓国に返還された・・・との認識。だから人も住んで、実行支配している。ふむ、じゃあ日本はなぜこの実行支配を許しているのか?早い者勝ちだったのか?後ろめたいことがあったのか?問題はそこなんだ。敗戦後の米国仕分けは? 聞けば、曖昧だったのだが、数年前にあの馬鹿ブッシュが「韓国の領土」と発言した・・・と。頼むから、誰か歴史学者+実力者政治家の人、教えてくれ。

デモ報道の不思議
今年は沈静化を待ったほうが良さそうだ。勿論、領有権に対して感情的には、日本側の強気度を示す時期に来ていると思うが、中国側は例年の尖閣セレモニーと捉え、韓国は明らかに崖っぷち大統領(身内の汚職含む)の勇み足…と考えるのが正解だろう。今回は、国際司法への提訴ぐらいでいい。・・・と、そんな時に、あの馬鹿な橋下が「慰安婦問題」に持論を発言。本当にこいつは大馬鹿だ。だから、危険な匂いがプンプンするのだ。・・・・それは置いといて、中国の反日デモを大々的に報道する日本マスゴミの不思議。200人とか数百人規模の小さなデモをなぜ大きく誇張する? それでいて、何十万人規模の原発反対デモは暫く報道せず、報道を始めても2千人とか2万人とか。不思議な国だ。

小沢の終焉は最側近の暴露から
民主党内の反小沢勢力への嫌悪感とか、検察審査会への圧倒的疑念で、昨年の冬までは小沢復権を期待していた。ところが、311大震災後の小沢の動きにどうも不信感を覚え、ツイッターでも呟いてきた。なぜ何ヵ月経っても地元の被災地に顔を出さないのか? 田中角栄なら、飛んで行って地元民と涙を流して空元気でもいいから激励したはず…と。その後、野田政権が発足する際も、擁立する相手が違っていたり、混迷する民主党政治に歯止めがかけられないばかりか、一層酷くする張本人にも見えたり…。この人、終わったな、と痛感。

そんな時、週刊誌で小沢夫人の暴露記事が。隠し子、夫婦生活の破綻、家庭内での人間性の酷さ、そして極めつけは「放射能が怖くて一歩も外に出ない小沢」・・との激震。話半分としても、震災後約半年間は地元の陸前高田市(大被災地!)に出向いた形跡が無いことの「点」と「線」が繋がる。そして決定付けたのは、この直後に民主党を離党したこと。あれだけ「大政党にいなければ」・・とどんなに酷い扱いを受けても我慢してきたのに、あっさりと離党⇒新党結成。『次の一手が無い』こともあるが、週刊誌の内容は全て真実だったと直感させる速攻の離党だった。

小沢がこの四半世紀で日本をダメにした?
小沢が今後、年齢的にも表舞台で活躍するチャンスはゼロに近い。思えば4半世紀前から日本政治の中枢に君臨し、金満政治を支え、混乱期に新党で破壊と創造(いや、単に作っただけ)を繰り返し、やっと2大政党制を掲げて政権を奪還したら、同じ党内から徹底的に引き摺り下ろされ、何をやっても敗北の繰り返しで現在に至る。なぜ、あそこまでマスコミと政治評論家と政治家仲間に、徹底的に嫌悪されるのか…薄々感じていたが、地の底に堕ちて行こうとする日本を変える力量はあると期待していた。だが、人間の本質と価値観が全て出てしまう極限状態の大震災+原発事故で、愚にもつかない人間であることが露呈し、最側近の身内から三行半を付けられた。

田中角栄の弟子で、ノウハウを徹底して身に着け、金の集め方と選挙で勝つ方法なら右に出るものがいない政治家。政局ばかり考えているようで、政策も熟慮しており、各省庁の仕事にも精通している。総裁選の菅との論戦で衰えていないことが明らかに(逆に菅は無知の権化だった)。ただ、結局、人間性だけは角栄から盗めるものではなかった。人間性は、その人本来の持っているものだから。人間として欠落する部分が全ての足を引っ張り、晩年は負け続ける政治家人生に。25年で自民党支配政治を長引かせ、やっと政権交代したと思ったら、史上最低の総理=鳩山を担ぎ、争って敗れたから史上2番目に酷い菅を総理にしてしまった。やっぱり小沢が日本をダメにした張本人であろう。今の彼の取り巻き、彼を支持する議員を見れば解る。ロクな人がいないな・・・って。
(敬称略)

2011年10月17日(月)
脳科学者vs元祖PCオタク⇒子供の喧嘩
アップルの創始者ジョブズ氏の追悼番組が、インターネットTV(ニコニコ動画)で放送された。番組の冒頭、いきなり脳科学者・茂木が暴走し、隣の太目のオジサンが怒り心頭で茂木と喧嘩を始めた。もちろん小生がこの番組を見ていたわけではない。ツイッターで話題になっていたので、後でサイトを視聴して知った次第。事の顛末はこうだ(10/20に一部修正)。

 進行役がジョブズ氏の訃報を伝え、彼の業績を称えて思い出を語る形式で出演者に促したら、いきなり茂木健一郎が「僕はMSーDOSもウィンドウズが嫌いだ」と言い出した。それに対して進行役よりも早く反応したのが元アスキー社長の西氏。アスキー退任後に日本マイクロソフトの副社長でもあった(これも退任)人物だから、元自社商品を悪く言われたら誰でも頭にくる。西が茂木の突然の批判を遮って、「お前は何を言っているのだ?」「今TVで言うことではないだろう?」と眉間に皺を寄せて怒った。もう、ここからは子供の喧嘩。茂木が「私の個人的な意見だからいいでしょう」とウィンドウズ批判を続けたら、西は「このまま言い続けるなら帰る」とか「お前は(PCを)作ったこともないくせに」と感情論。進行役や他3,4名の出演者が戸惑いの表情で映像は切れ、編集して次のシーン。一応、茂木が謝罪して喧嘩が治まったように見えたが、別のテーマで話しているシーンでも、まだ西が怒っているところを数分放送して映像は終わった。

茂木氏も西氏も、どっちもどっち。ジョブズ氏の追悼を無視して、PCソフトの批判や個人的な好みを滔々と喋る茂木は、まるで社会性が無い。喪服の西氏のほうが一応大人で、Tシャツのボサボサ頭で出ている茂木は追悼の格好ではない。まあ、冷静に考えれば、ジョブズを正当化する論点としては正しい。ジョブズ自身がアップルを作ったときに、マイクロソフトを徹底的にこき下ろして批判することによって、差別広告(マーケティング)をしたわけだから。ただ、隣にいたオジサンの存在がまずかった。競合他社の日本マイクロソフトの元副社長だった。
 インターネットTVなので固いことは抜きにしても、あまりにも発言が唐突で、自分本位で、周りが全く見えていない。普通ならジョブズ氏が関わったアップル・コンピュータやiPodから語り始めて、その後に、例えば「隣にいらっしゃる西さんには申し訳ないが、私はウィンドウズが使い辛くて・・・」とか何とかで、途中から批判するのが常識。今回の茂木は相当に非常識と言わざるを得ない。
 茂木は「脳科学」を売り物に突然有名タレントになり、科学者とは名ばかりで、巧みな言葉や映像のテクニックで視聴者をマインド・コントロールしてきた印象。しかし、徐々にメッキが剥げて、数億円の脱税疑惑が発覚し、経理・税務の煩雑さが露呈。出演料や出版物の印税で年間何億も儲けながら、社会的な義務=納税や届け出は放ったらかし。一つのことに没頭すると他が何も見えなくなるところは、本人がTVで紹介した「サヴァン症候群」と近いのでは?

一方の西氏も、突然怒り出して「バカヤロー!」「帰る」と言い出すところはまるで子供。茂木の話なんて適当に聞き流せばいいのに、それに反応するから茂木もムキになって反論する。特殊でプライドの高いオタク同士の戦いと言ってしまえばそれまでだが、2人ともいい年のオヤジで有名人だけに、非常に恥ずかしい喧嘩に見えた(もちろん笑えるが・・)。西といえば、日本のパソコン界における先駆者。若いころに米国のシリコンバレーに留学し、あのビル・ゲイツと一緒に学び、孫正義とも同級生。そして急逝したジョブズも同世代。みんな55歳か56歳で、最初はコンピュータ・おたくから始まり、30年以上経過してそれぞれの道を歩んできた。小生も同世代。今回判ったのは、ジョブズとは同い年で誕生日がたった2日しか違わなかったこと・・。世界を劇的に変えた2大巨頭ビル・ゲイツとジョブズは、コンピュータとは無縁だった小生と同学年だった。人間、色々です。
◆因みに映像のサイトはこちらをクリック⇒「西氏がバカヤロー発言」
2011年10月15日(土)
ありがとう台湾&6人の日本の若者たち(引用)
日本の馬鹿マスコミ(通称マスゴミ)が正しい情報を伝えないことは衆目の一致するところ。日本国内のみならず、海外の情報もまともに報道しない。例えば「台湾」に関する情報…。国と認めない中国に気を使って、あまり報道しない。ただ流石に、大震災に対する義援金額が世界のどこよりも多額だったことは、マスゴミも伝えていたようだ。しかし、この後日談が伝えられていない。唯一紹介したメディアが「東スポ」のみ。しかもコラム記事で…。素晴らしい話なので、ここで紹介します。

東スポで週1回のコラムを担当する作家&作詞家なかにし礼氏の文章より、要約引用――
・200億円の義援金を送ってくれた台湾に対して感謝の気持を伝えるために、日本の若者6人が沖縄から台湾まで泳いで渡った(TVの小ニュースで知る)。
・ネットで調べると6人はみんな被災地の出身。彼らは岩手、宮城、福島の県知事から託された感謝状を送り届ける使命もあった。
・発起人のライフセイバー鈴木一也さんがコースの一部を試泳して本番に備え、資金は「日台黒潮泳断チャレンジ2011」というNPO法人を立ち上げ、募金に頼って準備を整えた(王貞治氏も賛同者)。
・6人は9/17午前7時、与那国を出発。台風15号の影響で海が荒れて最悪のコンディションだったが、一人30分ずつ交替で泳ぎ、世界最大規模の海流=黒潮の荒波120kmをサメを避けながら泳ぎ切った(ドーバー海峡33km)。
・2日間以上、約50時間泳いだ彼らを、台湾側から100人以上の人が沖合まで出迎えてくれ、上陸後に宜欄県政府が歓迎式を開催。6人は「謝謝、台湾」と叫び万歳をしたのだった。
・この快挙をもっと大々的に報道すべき。民主党政府は中国に気を遣って、台湾からの多額の義援金に対して、きちんと公表せず謝意も表していない。その権力者たちの及び腰がマスコミに影響を与えているのであれば、若者を叱る資格はない!
・大津波で襲い掛かり、大災害をもたらした、残酷にして偉大なる海とたわむれてみせたこと。そこが、この若者たちの美しさだ。

――この話を読んで大いに感動し、ネットで検索してみた。しかし、あまりヒットする記事はなかった。その後も、特に話題にならなかったのが残念だが、もしかしたら台湾では大きなニュースになり、好意的に受け止められたかもしれない。

 どうせ東スポ・・・と侮るなかれ。確かに相変わらず嘘っぽい記事もあるが、あの大震災以降、変わったような気がする。福島第一原発にいち早く視察した菅総理が、福島から帰って東電に乗り込み、大声で怒鳴り散らしたこと。「俺は原発に詳しいんだ」「ヘタしたら東日本は潰れるかもしれない」とのトンデモ馬鹿発言を最初に報じたのは東スポ。大真面目で菅を批判する東スポに驚くと同時に拍手を送った。大新聞、各テレビ局とも、この話題には封印。あくまでも、政府と東電の御用聞きに徹したのは、後日になって衆目の一致するところ。東スポがバカ菅の真の言動を報じてから、週刊誌や他の夕刊紙が追随する格好になった。おいおい、「エロ・ウソ新聞」ではなく、日本のマスコミに無くなったと思われたジャーナリズム魂が、ここに残っていたとは・・・。
 また、なかにし氏のコラムは巧い! さすがに作家であり作詞家だ。読ませる、感動させる、根底に流れる正義感が心地よい。この人のコラムは痛快な内容が多いので、必読だ。
2011年8月12日(金)
お台場フジTVで抗議デモが行われた理由

大震災以降、大新聞・TVの情報は最も遅く、且つ嘘ばかり(真実を隠蔽)であることが、世間一般に露呈してしまった。それまでは、まさか「朝毎読」の3大紙が嘘の情報を流すはずがないと、一般の国民は信じて疑わなかった。TVは情報が最も早く、映像付きで速報を流してくれると、重宝がられていた。しかし大震災「311」以降はどうだろう? 確かに津波の映像はTVがいち早かったが、各局が入手した少しの映像を延々と繰り返し放送するだけ。もっと凄い映像はインターネットのYouTubeでどんどんアップされていった。福島原発の映像は? 民法は何日も事故前の静止映像だけで、東電と利害のないNHKだけが数日後に爆発した無残な建物を放送しはじめた。民法は1週間以上も真実の映像を放送せず、御用学者が入れ替わり立ち代わり出て「安全です」と、嘘の情報を流し続けたのは、今となっては周知の事実。既存のマスメディアの中では、ラジオが番組によっては真実を追及しようと努力するジャーナリズムが残っていたか・・・。では、どうして嘘の情報を平気で流すようになったのか?

なぜ、大マスコミの情報が遅く、真実では無いのか?
大マスコミから真実を追求するジャーナリズム精神が失われた理由の一つに、「記者クラブ」の存在があげられる。そこに行けば政治や企業の記事を得られる。しかし、その内容が正しいのか、嘘はないのかの検証は行われない。垂れ流された情報をそのまま記事にするだけ。これで新聞ができてしまう日本のマスコミ構造。政治家にとっては都合がいい。しかし、飼い慣らされた記者たちからはジャーナリストの魂や精神がどんどん失せていく。これが諸悪の根源なのだ。勿論このことが全てではないが、日本が作り上げてきた「エセ民主主義」の鍵を握る部分がここにあるのは事実。自分から取りにいかないからスピードは格段に遅い、与えられた情報を頭から正しいと信じているから、嘘というか「隠蔽」「捏造」が多く隠されていても追及しないでそのまま記事にするため、結果的に「嘘」になる。もちろん、東電の情報については、マスコミと東電の利害関係というもっと根の深い問題がある。大スポンサーなので悪い情報は流さない。記者会見でも絶対に鋭い質問はしない。フリーのジャーナリストが質問しても、当てられない・・との構図。
 小泉政権時代から疑問に感じて一切の大新聞購読を止めたが、あの問題だらけだった「郵政選挙」をマスコミが「よいしょ」して批判精神を失い、小沢問題は結論ありきで、検察と一緒になって小沢を潰すための捏造情報であり、キャンペーン展開を行ってきた。小沢が正しいか否か、日本のトップになる資質があるか否かではない。大マスコミ全部が「小沢は悪」と決めつけて、公共のメディアを使って恣意的な情報を流すことが、民主主義国家においては大問題であるのだ。既に検察は、捏造・犯罪行為を行ってきたことが判明。大新聞は小沢潰しの面子を守るために、未だに菅擁護をしている馬鹿な会社(朝日)もある。何が正しくて、何が問題か、国民は既に判っている。そして、ここまで日本をダメにした張本人は、政治よりも、官僚よりも、東電よりも、保安院よりも、御用学者よりも、諸悪の根源はマスコミの奴らではないか・・・、そこに気付いているのだ。

今、情報の早さでは、ツイッターが群を抜いている
やっと本題に入って恐縮だが、8/7にお台場フジテレビ前で抗議デモが行われていたのはツイッターで知った。翌日テレビの朝ワイドで珍しく扱っていたが、勿論フジでは無視。デモの内容は「韓流偏重」への抗議。そう、発端は俳優の高岡という男がツイッターで批判したことをきっかけに、「フジ会長と韓国プロダクションとの癒着」「公共であるテレビ局が偏った放送を行っている」「自分で制作せず外国(韓国)から買うだけ」・・・のような批判で1500人集結したらしい。全てはツイッターはじめSNSによる呼び掛けで行動に結びつけている。まあ、抗議デモに関しては、これまでも「原発反対デモ」が何万人単位で行われていても、大新聞やテレビでは一切扱わなかった。従って、世の中で何が起き、人はどんな価値観に変化し、何を行動しているのか・・とのタイムリーな情報は、今やインターネットでしか解らない日本になったと言える。
TVや新聞で扱わないから、東大の児玉教授の素晴らしい発言(国会参考人招致)を知っているのは国民の一部だ。数日でYouTubeから削除されたから尚更少数。例の東海テレビ問題=「汚染米セシウムくん」も、ツイッターで知った。その後、14000件抗議クレームがあったとか、一連の動きはネット上で掴んでいたが、TVでは1週間後の今頃小さいニュースとして扱っていた。我が愛読紙の日刊「ゲンダイ」も遅くなった。今や、政治ネタも含めて、自分がSNSで仕入れた情報を翌日にやっとゲンダイで扱っていることが多くなった。
 当初のツイッターを始めた理由は、世の中に発言したい怒りがあったから。しかし今となっては、最優先の情報源に変化。大マスコミだけでは得られないスピードと正確性を得たいならツイッターは欠かせない存在となった。これに週刊誌や日刊紙を組み合わせ、如何に自分で上手に取捨選択したり情報の料理をするかがポイント。情報に振り回されないために。まあ、ツイッターで他人の様々な価値観を面白がって読んだり、いち早く教えてくれるサイトを有難く読んでいる内は、自然と整理できるから不思議だ。

2011年8月3日(水)
買収屋⇒孫正義の野望と真実は?

久々の「言いたい放題」記入。実は、そろそろ「ツイッター」に飽きが来て、あまりつぶやかなくなった。福島原発の問題や震災復興の対応遅れなど、何も落ち着いておらず国民の苛立ちは募るばかりだが、「毎日、政府や東電への怒りを発言しなければ気が済まない!」との気持ちは、正直一段落した。換言すれば、何を発信しても暖簾に腕押しだから、言う気が起きなくなった・・ということかも。実際みんながそのようで、例えば菅が「特例法案不成立なら9月まで続投」とか「長崎・広島への式典出席」とのニュースに対して、誰もツイートしていない。『菅よ、もうどうでもいいから早く辞めろ』との心の声が一致しているからだ。そこで、ツイートからこのHPに戻ってくるつもり。できる限り1週間に1回更新するペースにして、裏情報を提供するようにしたい。大新聞やテレビでは絶対に報道しない真実の話。これが震災・原発以降多いんだ。「表は嘘、裏が真実」⇒そこまで言うと極端になるが、それに近い。ツイッターを始めたから、その構図が手に取るように判る。普段目にしないブログやHPやニュースサイトも、ツイートで紹介してくれるから、普通の人が知らない情報を得られる。今後は、得た裏情報をここで紹介するつもり(勿論、自分の論点も加えて)。

まずは「時代の寵児?=孫正義」の真実から
ツイッターを始めて最初に目に飛び込んだのが「孫のつぶやき」。私はフォローしていないのに、勝手にタイムラインに出てくる。つまり、「リツイート」されることが多いので、より多くのツイッターの目に触れるというわけ。一般人のフォロアーから「○○してください」とか「被災地の携帯が繋がらないから○○」とか、当初は勿論ソフトバンクの携帯に関する要望ばかり。すると孫が「やりましょう」とのツイートをして、実際に要望が実現される・・・との流れ。これがツイッターに留まらず評判になり、「即決で、やりましょうの孫」として一部で尊敬されていたようだ。そして極めつけは「義援金100億円」事件(?)。最初に目にしたのはツイッター。よくもまあ、大胆に。まあ、小生は彼の成り上がりプロセスを知っているだけに醒めた目で見ていたが、これが表面しか見ない若者ツイッターの間で大反響となり、「さすが孫さん」「なにをやっても凄い」「時代の最先端」と尊敬ツイートで大騒ぎ。ふん! 大金持ちなんだから寄付するのは当然。彼にとっての百億円は全資産の何分の1か、アジア後進国の人たちがなけなしの金を集めて義援金として送ってくれた数万円と比較して、どっちのほうが価値あるか? 小生の感覚では明らかに後者。大体、100億円を公表してぶち上げるなんて、宣伝以外の何ものでもなく、真に被災者を思うなら、黙って寄付するものだ。それが福祉というかボランティア精神のはず。如何にも偽善的というか姑息な下心が丸見えのことと感じ、嫌悪感さえも覚えた。じゃあ、そのことをツイートしたか・・と問われれば、流石にツイッターに加入して2週間程度の時期だったので、孫を批判する勇気はなかった。
そして、菅に擦り寄っての「再生可能エネルギー」。もうこれで完全に、商売人根性丸出しの姑息な奴ということがバレバレに。その前は、菅を応援するスタンスに転じた呟き(依然としてフォローしていなかったが、常に誰かがリツイート)。こいつ、もしかして政治家に転じるつもり?・・と感じたこともあったが、どうやら違うようだ。そして、全国に太陽光発電所を作るとか発言して、はは〜、まだまだ通信網が弱いソフトバンク携帯電話を強化するために、その通信タワー作りなのかな・・と感じ始めた。その後は、周知の通り。スッカラ菅におべっかを使い、「菅さん、ずっと総理を続けてください」などと、完全に歯の浮く胸くそ悪いにじり寄り。在日韓国人三世で、差別された日本への恨みがハングリー精神になっているといわれる孫と、売国奴で左翼的社会主義思想で、韓国大好きな菅とは、なるほど思想も気も合うのだろう。菅は「再生可能エネルギー法案」で自分の存命の切り札にしたい、孫は「電力事業への進出と経営者としての大躍進」を手に入れたい。お互いのニーズが一致した胸くそ悪く嫌悪感しか覚えない猿芝居であった。
先日テレビで孫を紹介するボードで「アイティ革命の寵児」・・・のようなキャッチが付いていたので、流石にそれは昔の話だし、実際にはこいつ革命なんかしていないぞ、と腹が立ち、ツイートした。140字以内で言うのは難しかったが、要するに「商売人」でしかないことをコメントした。丁度同時期に週刊誌が暴露記事をだしていたので、時期的には良かったようだ。確かに昔はアイティの寵児だった時期もある。世代が同じだからよく覚えているが、今をときめくビル・ゲイツと「アスキー」創業者の西氏と孫がシリコンバレーで一緒に学んでいたのは有名な話。というか、ここらの記憶は曖昧で3人が同じ大学だったかどうかは定かではない。その後、3者3様に分かれていく。ゲイツはマイクロソフト社を設立して世界中にパソコンを普及させた正に地球レベルの経営者でありアイティ革命者。西は秋葉原オタクのはしりのような人で、結局オタク的経営者で終わった。そして問題の孫はどうかというと、まずアイティ系は実は何も自分で作ってはいない。全部買い物だ。日本マイクロソフトはビルとの提携、ヤフーも米国との提携で日本法人を運営しただけ。当時、街頭で赤いコスチュームで煩く勧誘していた通信システム。あの「おぞましさ」を思い出す。そして「ソフトバンク」を買収し、野球の球団を買収し、携帯電話の権利を取得し、アイホーンの権利もアップルからいち早く取得し、最後はスッカラ菅を利用して「電力事業」を手に入れようとしている。確かに野望は凄い。でも、その手段の殆どは自分の手を汚さず、全て買収や提携によって出来上がったものを買っているだけ。つまり孫=買収屋なのだ。本質はホリエモンや村上ファンドと同じ種類。ちょっと人当たりが良く、やり方が巧みで、機を見るに敏で、しかし狡賢いだけなんだ。
 若者たちは、孫の表面だけ見て騙されてはいけない。事業的には大変な負債を抱えているのに、あのTVCMの「白い犬」やスマートフォンによる好イメージで判断してはいけない。確かに、あの広告展開は普通の経営者ではGOサインを出さない。常識的にOKを出す経営者は馬鹿だ。年間何億(十億以上?)もの広告なら、トップが最終チェックするだろう。父親が喋る犬設定に「やりましょう」と判断できるセンスは、常人とは違う。いずれにせよ、野望の塊のような所詮「商売人」に日本の政治が&国民が騙されては断じてならない!

東大・児玉龍彦教授の魂の叫び(2011年7月27日)
サイトはこちら
クリックすれば映像を見られます(書き起こし文章付)。
     児玉教授の映像
衆議院厚労委員会「放射線の健康への影響」で、参考人として発言した東大・児玉教授の話が、今ネット上で大きな話題になっている。私もこの翌日にツイッターで知り、早速「Y−TUBE」の映像を観た。ツイートに「この人本気だ」とか「マジ、涙出た」との呟きだったので興味本位で観たが、その迫力に圧倒され、その本気度に感動して胸が熱くなり、問題の指摘のみならず今後の対策まで提言しているので内容的にも素晴らしい、と実感。ただ、政府や東電への批判や問題指摘が半端なものではないので、ちょっと危険かな・・と感じた。案の定、翌日には削除されて「YTUBE」で観られなくなり、その情報統制振りでもネットで大騒ぎになったのだ。ツイッターでも「見たいけど見られない」とか色々書き込みがあったが、さすが削除されないサイトを探して紹介してくれる人がいて、私もここでこのように紹介出来た次第。
東大はまさに日本政府の「原子力政策」を進めた機関。そのため、震災・原発事故以降に出てくる東大教授は安全性しか発言せず、「御用学者」「御用大学」のレッテルを張られてきた。その東大から、渾身の反対発言。初めて国民の側に立った真実の発言命を張るとはこういうものか、とも感じる身を捨てた立ち振る舞い。そして何より、学者の中からこういう人物が出て、国会で発言して、それをネットで出回ったのに情報統制されようとしていることが表に出たこと。中国を悪く言えるか?・・とのことが表面化したことにも意義があると思う。大新聞では一切報道せず、テレビでも見られない(一部だけ朝ワイドでちらりやっていた)貴重な映像。興味がある方は、上記の見出し下をクリックすれば、見られるはずです(このサイトは削除されないはずなので)。きっと心が震えるでしょう。

さて、この原発対応については、私も提案があるが、ちょっと今日は時間切れなので、また後日記入。

言いたい放題のテーマ
このページは、世の中の動きに対して好き勝手に述べますが、あくまでも私個人のストレス発散の場。少しぐらい判断や価値観が違っていると思いますが、気にせず論じていきます。大目に見てやってください。尚、テーマは以下の観点。新たに更新した項目にはマークが付いています。見出しをクリックすれば、そこに飛びます。

   2018年7月24日に更新!!
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 シェーンとアベと・・・  
厄年の1年だった   故郷に帰って思うこと・・・
映画「ハドソン川の奇跡」   老人と私、そして覚醒
 21世紀の偉大な映画ランキング   お世話になった方の死
 絵画作品展への応募  「セッション」と「フィールドオブD」
リーダーシップとは、その資質とは?   「やっちゃえ体質」vsネット警察

ビッグウェイの言いたい放題=好き勝手に論じます
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